
ロン「今日は赤穂浪士の討ち入りがあった日なんだよ。」
ミラ「そうか、大石内蔵助さん達が殿の無念を晴らしたんだね」
◆ 今年の、赤穂城跡に行った時の写真です。 ◆

赤穂城 大手門付近です。(日本100名城)

赤穂城 本丸門です。
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時は1701年、江戸城において赤穂藩主(兵庫県)浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかった「松の廊下」事件。
浅野は切腹。 そしてお家取り潰し。
吉良には一切おとがめなし。
後に赤穂藩はお家再興を模索していましたが願いは叶わぬものとなりました。
途方に暮れる浪士たち、怒りがおさまらない主流派たち。
筆頭家老・大石内蔵助も同じく。
そして残された道「討ち入り」へと突き進んで行ったのです。

大石神社の四十七士です。
「討ち入り」の数か月前は
内蔵助もカムフラージュのため京都で遊び三昧な毎日でした。
いよいよという時期になり。
本当にその仇討ち決行ができるメンバーを厳選する必要があり
そして、一計をこうじました。
「・・・大石殿は誠に不甲斐ないゆえ、仇討ちは中止となったんだ。」と言って神文を返しました。
すると
「うーん、それは何とも残念ですね」と言って諦め受けとる者。
「そんな馬鹿な! いったい何を言ってるんですかっ」と言って憤慨して突き返す者。
その神文を突き返した約50人の浪士が残りました。(最終的に47人へ)
主君・浅野内匠頭の無念を晴らすため
命を懸けた、言い替えれば命を捨てた47人が一致団結し綿密な計画を立てて行きます。
そして
遂に12月14日「討ち入り」を決行し、見事本懐を遂げたのです。

ロン「僕も討ち入りに参加したかったなぁ」
父「何言ってるんだ、討ち入りしたら切腹しないといけないんだぞ」
ロン「大丈夫だよ。 僕は動物病院で先生にお腹縫ってもらうんだもん」
父「・・・いや、そう言う事じゃないんだ」(笑)
end
byみどり茶・旦那
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