☆前回の日記と関連した内容になります☆
※ただの愚痴になってしまったので、愚痴が苦手な方はスルー推奨です。
あくまでもこれは私の個人的な意見なので、偏った考え方かもしれません。違う考えをお持ちの方が不快になってしまったらすみません。
先週の土曜インターフェロンの投与に行きました。
迎えを待っている間、受付の女性に感染している可能性が高い兄弟猫たちや里親さんたちのことが心配だという話をしました。
受付さんは以前ボランティア団体でのバイト経験がある人なので、共感してもらえるんじゃないかというちょっと甘えた気持ちもありました。
しかし彼女から返ってきた言葉は、期待と違って今の私には少しきついと感じるものでした。
「よその子になったら口出しすることじゃないし、この子が良いって思ったなら病気があっても可愛がってもらえますよ。第三者的に言っちゃえば病気もひっくるめてその子自身ですから。」
私の言葉が足りなかったのかな。
白血病の確認を怠ったこと、早い段階で気付いていればインターフェロンのお話ができたこと。感染源が母猫でなければ早期隔離で子猫を守ることができたこと。
沢山の後悔と、兄弟猫や里親さんに対する申し訳ない気持ち。
家族として迎えた子です。
白血病であることが分かれば、里親さんが子猫の運命にどれだけ悲しむか。
感染症のキャリアになってしまった事実と、その子への愛情は別の物です。
家族になったのだからその子が病気であってもその愛情は変わりません。
だからこそ里親さんの悲しみや苦しみを思い申し訳ないのだと話したのですが、彼女は里親さんが病気の子を受け入れるか受け入れないかのほうを重要視していました。
「私がいた団体では子猫に感染症の検査はしません。検査に使うお金があれば病気の治療に回したい。里親さんには事前に感染症の検査をしていないことを告げた上で譲渡書類に署名してもらっています。」
「後で病気が分かって返したいという人が来たら返してもらいます。それは相手の要望に応えるわけじゃなくて、そういう人には任せられないからです。」
白血病だからって分かったならその事実を受け入れるしかないでしょう、という決して同情や共感を見せない彼女が不思議で、その団体のHPを覗いてみました。
彼女がいた団体は、犬と猫を行政から引き取って殺処分される命を救う団体でした。
病気を持ちシェルターで終生飼育することになっている子もたくさんいるようです。
団体が活動を続けるためにある程度の線引きが必要だというのはよく分かります。
殺処分される子たちを少しでも多く救いたい。少しでも多くの里親を見つけたい。
それはとても大切なことですし、その気持ちもとてもよく分かります。
でも「里親になるからにはキャリアであっても差別してはならない」という、キャリアも受け入れるのが里親の前提であるような強要するような文章があること。
また「差別」という言葉を使っていることにも違和感を覚えました。
感染症に関しては、どんなに努力しても個体差や元々の免疫力、ストレスなどで感染から数年(エイズであれば5年ほど)で発症してしまう子がいるのも残念ながら事実です。
それを団体が「発症しないまま天寿を全うできるケースが多い」と、長生きする確率が高いように思わせるようなことを記していることも疑問に思いました。
「キャリアかもしれないことが不安ならペットショップへ」
「病気は可哀想だし大変そう、というのは命を助けるという団体の活動理念から逸れる」
HPにあったこの言葉は「感染症の心配をする=大変そうだから嫌」と決めつけているように私には感じました。
闘病のお世話自体は苦ではありません。苦しいのはその子が苦しむこと、日ごとに弱っていく末期の子をただ見守り撫でてあげることくらいしかできない自分の無力さを思い知ることです。
今ここにいるこの子が無事に来年、再来年を迎えられるか分からないこと。
まだ幼いのに重く残酷な運命を背負ってしまったこと。
家族になった子がほんの数年しか生きられないかもしれないことが悲しいんです。
キャリアも健康な猫と同じように飼うべきだと考えるのは素晴らしいことですが、それを里親になりたいと思っている全ての人に押し付けるのは少し違うんじゃないかと私は思うんです。
どの猫も長生きすればいずれは闘病します。
でも10年20年一緒にいるのとわずか2年~5年ほどしか一緒にいられないのとでは大きな違いがあります。
発症しないことを祈り、効果を期待してサプリメントを買い、ちょっとしたことでも様子見をせずにすぐに病院に行くよう心掛ける。
隔離ができない状況であれば、健康な子に感染してしまうことも覚悟しなければいけません。
(うちの猫は片方がエイズキャリアですが、兄弟のように仲が良いので隔離すること自体がストレスになる為、発症を遅らせるにはダブルキャリアになる可能性があっても一緒にいさせてあげた方がいいと獣医師に言われました)
お金もかかりますし、全ての人が強い心を持っているわけじゃありません。
病気を心配するあまり悲観的になって思い悩む人もいるでしょう。
お子さんがいる家庭なら、お子さんに辛い思いをさせたくないとも考えるでしょう。
人には向き不向きというものがあり、選択の自由があります。
病気が心配な人には検査済みのある程度成長した子を勧めることもできるはずです。
そうすれば大人の猫に里親が見つかることも増えるのではないでしょうか。
頭ごなしに「感染症や疾患を避けたがるような人には譲渡できない」というのは、相手の事情を一切考慮しない一方的で冷たい考えじゃないかと思いました。
うちの先住猫はエイズキャリアであることが分かって保護しました。
その子の運命を受け入れ、できるだけ発症をしないように免疫力を高めるサプリや口内炎に効くというサプリを買い、発症したときのことも考えてお金を少しずつ貯めながら生活をしています。
軽いはずの病気がキャリアであるために悪化したり事故による骨盤狭窄が原因で手術が必要になったりしたときは、医療費を捻出する為に習い事を辞めたり生活費を切り詰めるなどの工夫をしてきました。
しかしそれを苦だと思ったことは一度もありません。
エイズや白血病は今が元気だからいい、というものではないのです。
今後かかりうる疾患に備え、対策しなければいけません。
またそれは意外な形で突然やってくることもあります。
それがキャリアや怪我、先天性疾患を持つ可能性のある猫を受け入れるという事です。
決して簡単なことではありません。
元気なのだからと安易に健康な猫と同じだと考えることの方が危険だと私は思っています。
キャリアとノンキャリアの差別とかそういう問題ではないのです。
家庭環境や家族構成(多感期のお子さんには予後が悪い感染症の子の命は重すぎます)、猫の治療や予防の為にどれだけお金をかけられるか、こういったことを考えるとキャリアの子を受け入れたくても受け入れることができない状況の人も出てきます。
感染症や疾患持ちの子も健康な猫と同じ。
そういう善意の思いだけで受け入れ、発症していないからと軽い病気を様子見で放置し発症後の事を視野に入れずに育てれば子猫も里親さんも不幸になるだけです。
それだけでなく、多頭飼育だった場合は健康な子までキャリアになってしまうかも知れないんです。
病気のリスクを持つ子猫の里親になれない人と、乳飲み子の子猫の里親になれない人とどこが違うんだろうと私は思います。
乳飲み子を欲しがる人には条件基準を設けますが、乳飲み子の里親にはなれませんという人を差別だと思う人はいませんよね?
知識がなく排泄の促しや授乳の間隔、保温などに無頓着なまま大人の猫と変わらないお世話の仕方をすれば命にかかわります。
乳飲み子の子猫はプラスなイメージ、キャリアの子猫はマイナスなイメージがあって、応募者数も全く違うからなのでしょうか。
応募が多い子は厳選して、少ない子はマイナス面を覆い隠す、それこそが差別ではないかと思ってしまうんです。
乳飲み子には必要な知識と環境、日中家にいられる人がいる家庭という条件が付くことが多いです。
それは感染症を持つ子たちも同じです。
感染症の知識、血液検査、ストレスのない環境であること、単頭飼育か隔離できる環境であること。調子が悪くなったら軽症でも診てもらうことが必要です。
適切に飼育できる方、発症の可能性を考えその覚悟がある方でないとお渡しできません。
だからこそ安易に「発症しないことが多い」とか「発症の兆しはなく元気です」などと発症しないイメージを持たせるようなことを団体の里親募集で書いてほしくないんです。
「里親になりたい。でも感染症かもしれない子は私には荷が重すぎる」
そう考えるのはいけないことでしょうか?
自分のキャパシティを自覚することは大事なことなのではないでしょうか?
キャリアもノンキャリアも差別せずに飼育するのが当たり前だと主張するのなら、「発症せずに天寿を全うするケースが多い」などという言葉で濁さずに、どんなリスクがあるのか、感染した年齢による死亡率の違いや平均寿命、ウイルスによる免疫の低下で起こりうる病気や血液検査の必要性、感染発覚後にすべき対策など、里親さんが覚悟を決めるための情報をきちんと伝えるべきではないかと思います。
しかしその団体で記載されている内容は次のような簡潔なものです。
■猫たちは保健所という劣悪な環境からやってくるため、健康上のリスクがゼロではありません
■感染症・先天性疾患・身体障害などを持った猫もやってきます。事前に問題がみつかった場合にはシェルターで一生面倒を見ますが、完璧な健康チェックは難しい面があります。
■ペットショップやブリーダーの猫とは違い、元捨て猫・ノラ猫を飼うリスクも含めてお引取りいただきたいと考えております。
■検査段階で白血病もしくは猫エイズと判明したところで、今のところ有効な治療法がない以上そのまま飼い続けるしか方法はありません。これらの病気は必ずしも発症するものではなく、通常の生活をしながら天寿を全うできるケースも多いことはご存じの通りです。
このような書かれ方ではウイルスに関する知識がないまま検査も行わず、発症直前になって初めて感染症のことを知るという里親さんもいるでしょう。
私も二大感染症やFIPに関してはキャリア猫を保護するまで細かく調べたことはありませんでした。
「事前に問題がみつかった場合にはシェルターで一生面倒を見ます」という表記がありますが、エイズ・白血病の子はこれに該当しません。
これではエイズや白血病は致死率の低い大したことがない病気だと思われてしまいます(実際にこの団体では問題のない病気だと考えているのでしょうが)
団体のHPではエイズや白血病は発症しないことが多いと書かれ、FIPキャリアは生後4ヶ月以降の発症は稀だが、年齢に関係なく他の病気などで免疫力が低下した時などには発症することがある。とだけ書かれています。
それはあくまでも楽観的な見方であり全ての子に当て嵌まるものではありません。
実際は二大感染症の片方、もしくは両方に感染した子で発症する子は多いですし(感染から保護までの期間によって差が出てくるのではないかと思います)、FIPは健康でも高齢であれば発症することがあります。
シェルターを持ち同じように行政からの引き取りを行っている他団体はきちんとリスクを明記し、血液検査についての説明もHP内にあります。
この違いは一体何なんだろう…。
リスクをきちんと分かったうえで了承してもらう団体とリスクを明記せずキャリアも健康な猫と同等に扱うのが当然とする団体。
犬や猫を助けることを謳う団体が、健康な子を望む人を拒否し健康な子が里子になれるチャンスを奪ってしまうというのは本末転倒ではないのでしょうか。
考え方の違いだというのは分かりますが、私にはどうしてもその理念が腑に落ちません。
「里親を待っている子たちの存在を知ったから自分ができる範囲で犬や猫を救いたい」
そう思って里親になった人が、愛情を注ぎ始めたばかりの子が感染していたということを知り悲しむ。
それに共感するのは、おかしなことでしょうか。
母子感染なら運が悪ければ来年の今、この子はもしかしたらここにいないかもしれない。
その事実に向き合うことがどれだけ辛いか…。
その気持ちに寄り添いたいと思うことは余計なことなのでしょうか。
動物病院の受付さんは、少なくとも今は病院のスタッフであり、もうボランティアではありません。
落ち込む飼い主を励まし、思いやる。それも仕事の一つだと思うのは私だけでしょうか。
彼女は愛猫や愛犬の病気に苦しむ飼い主さんの気持ちに寄り添おうとはしません。
前の子の腹水が分かった時も、先生はかなり動揺していたのに対して彼女はあっけらかんとしていました。
今回もそうです。
去勢手術後のお迎えと検査結果を聞くために来院したとき、先生はとても暗い表情で出てきましたが、受付さんは「怒っちゃってシャーシャー言ってますよ~」と、明るく笑っていました。
私は今まで、猫の癌で通院していたときや今回白血病が分かったときに明るくしていたのは、私が暗くならないように配慮してくれているものだと思っていました。
でも違ったんですね。
彼女からしたら、病気の子も健康な子も同じ。だからそれを受け入れるのは当たり前のこと。
だからいつも明るいんです。
「陰転するかなぁ?難しいかなぁ?」
先生がいないときに漏らした私の言葉に「う~ん、う~ん」と唸りながら、答えにくいから察してくれないかなぁと言いたげに首を傾げながら苦笑いしていた受付さん。
「難しいかもしれませんけど、とにかく今は結果を待ちましょう。」
そう言ってくれるだけでも心が軽くなるのにな。と思い、そしてそんな期待を抱く自分が滑稽に思えました。
私は保護主として、譲渡者として、また必要なときは相談相手や理解者として、私に頼ってきてくれる人たちの心に寄り添う存在でありたいと思います。
悲しい気持ちを少しでも和らげる言葉を出せるように。
少しでも役に立てる情報を渡すことができるように。
猫を救う事だけはなく、里親さん自身のケアも大切にできる人間でありたいです。
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