「無料」という言葉に
やっぱり嫌気がさしてしまう
コイン坊っちゃまの
召使いでございます
たしかにね...
自分が消費者の立場にまわれば
無料ほど嬉しいものはないのだが
提供する側、
動かされる側にとっては
ホント勘弁してといった感じだ...
「どちらの立場」になるかによって
全くものの見え方が
変わってきてしまう...
たとえば
こういう場所で
こういう立場で言葉を綴るのは
かなり考えたり
気を使ったりするものだが
全く自分を晒すことなく
さほど目にとまらない場所で
言いたい本音を
バンバン言えてしまう立場になると
人間は変わってしまうものなわけだ...
いや...そもそもそれは
「変化」なんかではなく
人間そのものが
持ち合わせてるものというか
それが人間というイキモノ
そのものなのだろうと思う...
犯罪やらなんやらに
関することでも
「あんな良い人がそんなことするわけない」
とか
「見損なった、軽蔑する」
など
意外性を感じたり
態度が一変してしまったりする...
本来、人間なんて色んな顔を
持ち合わせて
生息してしまってるわけだから
単にその時はそういう顔しか
見ていない、見ていなかった
...というだけなのだろう...
「裏切り」という悲しい現象も
そもそも最初から相手に
期待や依存などしなければ
わざわざそんな
辛くつまらない感情を生まなくて済む...
こういう考え方の自分も
なんだか異常なのかもしれませんがね...
歪んだ性格のわりには
おかげさまで
「喧嘩」や「争い」という
経験がない...
まぁ...一方的に恨まれたことは
ありますけどね...
自分からは
「あいつ絶対許せない」みたいな人間て
この世に1人もいないし
これからもそんな人は出てこない...と
確信してしまっている...
私自身がそういう感情を
持ちたくもないし
持たないようにしているし
関心もないからなのだろう...
たとえもし他人から
心無いどんなことを言われようとね...
なんで「無料」の話から
ここまで飛ぶんだ、って感じですな...
「怒り」という感情が
自分の中で1番いらない感情だなと
考えている...
にゃんこは偉大だ...
「威嚇」はあっても
人間みたいなイザコザで
怒りをあらわにするという
性質はないのだから...
ますます思う...
他人を本気で嫌うこともなければ
他人を本気で愛することも
ないのだろうか...と
ちょこっと残業...
早よ帰りたいもんだ...
召使いがちっとも怒らないから
ボク、わがままやりたい放題...の図
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今日のボンボリン
連写バージョン...
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