冒頭挨拶が思い浮かばない...
コイン坊っちゃまの
召使いでございます
この日が来てしまったか...
...といっても
若くして2年以上のがん闘病は
なんとも頑張った証なのだろう...
私は
小林麻央さんのブログ読者となっており
ただただ読んでいるだけの身であったが
毎日、読んでいた...
ブログ更新が1日でも滞った時には
なんとなく心配していたが
今朝ほどは海老蔵さんのブログの言葉で
世間はどよめいていた...
「どよめく」も何も
ネットのリアルタイムなんぞ
目にしなければ
そんなもんは知らない、わからない...
という世界なのだけどね...
別に麻央さんのファンでもなく
海老蔵さんも
決して好きな部類ではないが
彼の会見は悲しみに明け暮れながらも
凛としていて
素晴らしかったと思う...
あぁ...職場にテレビがあるんで
堂々と見てましたよ...
ふと自分の父親が
末期がんの宣告を受け
余命3ヶ月と言われたところを
半年生き抜いたことを思い出す...
いずれにせよ
親子関係は決して
良い関係ではなかったので
がんとわかった時も...
この世を去っていった時も...
「愛」だの「絆」だのというものを
考えさせられたり、
余韻にひたるようなものは何もなかった...
結局
涙は一滴もこぼすこともなかったが
感情を表現しなければならないならば
一応「辛かった」
という部類に入るのだろう...
いや...
「ホッとした」部分もあっただろう...
あんな痛々しく、苦しむ姿を
目にしなければならないならば
本人のためにも
早く楽にしてやりたいとさえ思ったからだ...
「忌中なのだからもう少し休め」と
当時の上司から言われたが
家に居たくもなかったため
葬儀の翌日には通常通り出勤したことを
覚えている...
愛に溢れた家族の闘病記などを目にすると
複雑な心境になるのも事実だ...
「なぜ自分のような者がノコノコと
この世にのさばって生きているのだろう...」
とさえ思えてくる...
「誰かが支えになってくれる...」
「強い愛で...強い精神力で...」
それが「美学」であり
その「美」をメディアが広めることで
「愛」や「絆」や「家族」が
「生きてる最大の価値」のようなことになる...
それを察知してしまうことで
心にダメージを受けたり、
なんとなく目をそらして生きる寂しげな人間も
実際には存在するわけだ...
文章力も語学力もないので
どう表現、説明をしたら良いのか
わからない...
すみませんね...
いずれにせよ...
なんやかんやどんな境遇でも
単純に
「人の死」というのは悲しいものだ...
それを悲しむたびに
自分が死ぬ時には
誰も寄り添っていないことを
今から脳内トレーニングしておくのも
悪くない...
またボクの出番ないね...の図
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おちゃめなカッコのミニボンボリン...
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最近、恥ずかしげもなく
同じカッコばかりの召使い...
残業、したくないわな...
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