オマージュ元のタワーレコードの広告を覗いてみる。
ずいぶん様変わりしたもので、
現在は被写体となるミュージシャンの「意見広告」になっている。
日本でタワレコが広告展開を始めたころは、こんな感じだった。

細谷巖さんの世界観に通じる、
写真でミュージシャンのライフスタイルや
その先の物語を想起させるようなディレクションに、
若いころの私は毎回目を輝かせながら見ていた。
友達も少なく、人生に音楽しかなかったその頃の私は、
NO MUSIC,NO LIFE.という強烈なタグラインに、
そんな自分を重ねていたものだ。
時代は変わって、それから20年以上が過ぎた今、
表現も時代に合わせて変化してしまった。

大きな違いは、タグラインがセリフ体(ローマン)になってしまい、
そのテーマに沿って、ミュージシャンが意見を述べる
というスタイルになったこと。
ここには実は大きな転換があって、
以前のタグラインは、顧客やファンに向けられたものだったことが、
今のこれは、ミュージシャン個人の主観に置き換えられている。
「私にとって音楽活動とは?」がテーマとなり、
そこには実は顧客はほとんど介在しない。
彼らの表現とする音楽以外にも、
わざわざ語らなきゃいけなくなった…ってあたりが、
様々な問題を暗示させるものとなっている。
広告チームはずっと変わらず
AD箭内道彦さんとPHOTO平間至氏の東北コンビだ。
彼らは震災以来、ずっと故郷である被災地を気にかけている。
そうした焦燥感を、ミュージシャンにも求めた結果なのかもしれない。
あるいは、
音楽が売れなくなった、儲けられなくなった、という
リアリティある話かもしれない。
(表現としてかなり予算は絞れるものとなっている)
または、ミュージシャンという人種が、
それ以外にも活動の幅を増やし多様に活躍しているせいかもしれない。
…思い当たるだけで、様々な理由が考えられる。
それでも変わらないのは、
タグラインと、タワーレコードのロゴマーク。
このロゴマークは、通常の斜体と違って前のめりになっている。
それは、音楽の「勢い」をあらわすものでもあるし、
レベルミュージックとして権威からの「解放」や「反抗」を意味している。
音楽そのものの持つ力や価値は変わらない。
ただ、それを取り巻く周辺は、時代に応じてざわつく。
そんなことを考えさせられる、広告の変遷。
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