
今年の7月16日に、実家のネロが死んだ。9歳だった。
子猫のときは、手のつけようのないようなやんちゃ猫で、家族はみな手や足に引っ掻き傷を作られた。大人になってからも、しょっちゅう盗み食いはするし、決して言うことは聞かないし、暴君ネロの名がぴったりな猫だったのだけれど、同時にその名の通り王者の品格も備えていて、他のどの猫もネロに一目置いていたし、人間から見ても、その顔には威厳が感じられた。
そんな気の強い性格とは裏腹に、体は弱くて、よく病気をした。また甘えん坊な一面もあって、一番懐いていた母に抱っこされるのが大好きだった。
死んですぐには、とてもネロがいなくなったことが信じられなくて、実家に帰っても、どこか、押入れの中とか、いつも寝ていた場所から何食わぬ顔をしてひょいと姿を現すのではないかという錯覚にとらわれたけれど、そうではないのだということに気づくたび、喪失感に襲われた。
半年近くがたって、ネロがいないという事実もあまり動揺せずに受け入れられるようになったけれど、やっぱり、もしもいまこの瞬間に、どこかの寝場所からあくびでもしながら出てきたとしても、ちっとも不思議な気はしないだろうと思う。
今年はネロが死んで、タマが来た。ゆく猫とくる猫がいる。もっとも、ネロの場合は、はじめての完全室内飼いの猫で、最後も両親に看取られて、お墓も実家の庭にあるから、ある日ふいとどこかへ姿を消してしまった外猫たちに比べると、いってしまったというよりも、存在の形を変えて、やっぱりいまも実家にいるというイメージがある。
これから先も、ゆく猫がいて、くる猫がいるだろうと思うけれど、来る猫は拒まず、去る猫は追いかけて行くのである。
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