ついにこの日がやってきてしまった。
私にとっては絶対に忘れることができない日。
この一年はいろんなことがあったよ。
君の妹分に当たる美雨も、遠い島からやってきたよ。
もう、一年が経ってしまった。
君のお人形を作って飾ったよ。
気に入ってくれた?
美味しいおやつもたくさん置いたからね。好きなだけ食べてね!(お下がりは美雨に分けてあげてね)
好きだったおもちゃも出してきたよ。
美雨が狙ってるけど、これは君のだからね。美雨にはまた今度。
今日は君のための日だもの。
今日だけは、君が一番です。
私は心の整理も兼ねて、ここで君にお手紙を書くことにしたよ。
とても長い手紙になるけど、読んでくれる?
君と出会ったのはもう11年近くも前になるんだね。
当時の私といえば新しい家に引っ越したばかりで、家の中は片付かないでごちゃごちゃ。
まだ、前の職場に勤めていた頃で、仕事も一番忙しくてきつい時期だった。
私は当時、某家電メーカーの宣伝部で商品のWEBページ製作の仕事をしていた。
時間と納期に追われるなかなかきつい仕事で、そりの合わない上司もいたし、人手不足で残業の日々で精神も病みかけていた時期だった。
朝はまだ暗い時間に出かけ、終電近くに帰る日々。
その上、末期癌で闘病中だった実家の母の様子が悪く、危篤の知らせが入るたびに何度も遠い大阪の実家へ足を運んでいて、精神的にも体の方もヘトヘトだった。
それでも小さなアパートから、念願の猫が飼えるマンションに越せたのが嬉しかった。
春になって落ち着いたら可愛い子猫を飼いたいとそれだけを楽しみに、しんどい日々をなんとか乗り越えていた気がする。
猫を迎えるのは4月以降になってからって思っていたのに、三月のある日……本当に突然、昔の友人Hさんから電話があった。
もう数年連絡がなかったのに、本当に突然でびっくりしたのを覚えてる。
友人のHさんは開口一番「ねえ、うちで猫が生まれたんだけど、飼う気ないかな?」と。
本当はね、気乗りしなかったんだよ。
まだ、家は片付いてなかったし、母の具合も悪かったし、お断りするつもりだった。
でも、送られてきた君の写真を見て、なぜか「見に行ってみようかな」って気になったんだよ。
これが送られてきた最初の君の写真。
ママの「ポス」にもたれて安心したように寝てる写真。
君は2月14日、バレンタインデー生まれ。君の他にもう一匹兄弟猫がいた。でも、君の兄弟猫は生まれてすぐ死んじゃった。
お見合いに行く日まで、Hさんから送られてくる君の写真を見るのがとても楽しみだったよ。
でも、Hさんはたくさんの人に声をかけてたので、他にも君を欲しいという人がいて、先に他の人に決まったらご縁がなかったということで諦めて欲しいと言われてた。
仕事の都合で、会いに行くのは4月にならないと無理だったし、こんな可愛い子なら無理かな……ってちょっと諦めかかってた。
でも、里親さんはなかなか決まらなかった。
君は会う人全てにシャーシャー威嚇して、触ることさえできなかったとHさんは言ってたよ。
なかなか気難しい子なのかな……じゃあ、気に入られるのは無理かもしれないなあ……と半分期待しないで君に会いに行ったんだよ。
Hさんの家にはたくさんの猫がいて、君のママ猫の兄弟猫や、君のおばあちゃん猫、それにワンコまでいる大家族。一番小さな君は猫団子の真ん中にいたね。
床に座ると、猫たちに値踏みするように取り囲まれて、全員からスリスリされてびっくりしたよ。
そして、ふと気づいたら君は突然私の膝の上に自ら乗ってきて、いきなりゴロゴロ言いながら寝てしまった。
「これはもう、運命だね!この子貰ってやって」と、Hさんに言われたけど、君はその時まだ生後二ヶ月を超えてなかった。
もう少しママのそばにいさせてあげて欲しかったので、お迎えは5月ごろという約束でその日は帰ったんだよ。
4月中旬になった頃、Hさんは突然病気で入院することになってしまって、お迎えが早まった。
君を迎えたのは4月の17日。
ママから引き離されて寂しがるかと思ったら、うちに着いたらいきなりリラックスしておもちゃで遊ぶし、ベッドで寝るし、まるで最初からここが自分の家のような振る舞いをしたね。
でも、その二日後19日には、私の母が闘病の甲斐なく亡くなってしまった。
さすがに遠い実家に子猫を連れて行くわけにもいかないし、Hさんは入院して連絡が取れない。
私はまだうちに慣れてもいない君をいきなり動物病院に5日も預けざるをえなくなってしまった。
でも、葬儀を終えて疲れて帰ってきた私を君はおとなしく待っててくれた。
預けている間に各種検査とワクチンの注射をしてもらったが、本当におとなしくいい子だったと病院の先生が褒めていた。
母と入れ替わるようにやってきた君。
毎日泣いている私にそっと寄り添ってくれてたのを覚えてる。
今思えば、いろいろな偶然が重なり合って、君がうちに来るのは間違いなく運命だったのだろうと思ってるよ。
それから10年、毎日が楽しかったね。
私が帰宅すると、足元に座ってずっと私を見上げてた。
膝に乗るのはあまり好きじゃなくて、それでも足元にいつもいたね。
まるで私と並んで座りたいと思っているみたいに、いつも椅子の上の指定席があった。
気づくと君がこっちに視線を向けているのは知ってたよ。
若い頃はいたずら大好きで、いろいろやらかしたね。
一度だけ脱走しかけたこともあった。(未遂に終わったけどね)
寒い日はお気に入りの椅子の上でいつも丸くなって寝ていたね。
出かける時はお見送りしてくれた。
ドアを閉める時寂しそうに「ミー」って鳴くのが聞こえてた。
帰ってきたら玄関でもう座って待っててくれたね。
8歳を超えたあたりから、突然膝の上に乗るようになったね。
ああ……君も年をとって甘えん坊になったのかなあってちょっと寂しく思ったのを覚えてる。
いつか、お別れの日がきてしまうのかなと不安になることも増えた。
でも、まだまだ先立って油断してたんだ……。
10歳をすぎたあたりから君はよく眠るようになった。
今思えば、静かに体調不良が進行していたのかもしれない。
Hさんと後に話した時に聞いた。君のママも君の一つ上の姉猫の「しまちゃん」も若くして亡くなってしまったと。心筋症や、突然死だったという。
君は遺伝的にあまり丈夫じゃなかったのかもしれないね。
10歳というのは15歳が平均寿命と言われている今では、あまり長生きではないかもしれない。でも一族の中では、実は君が一番長生きだったんだよ。
今思えば確かに君は大人しかった。
今の美雨に比べれば、遊んでる時間は少なかったし、すぐ疲れて横になっていたのを覚えてる。
健康診断で不調はなくても、もともと体はあまり丈夫ではなかったのかもしれない。
心筋症や血栓症は遺伝の要素もあるから、詳しく調べれば予防できたかもしれないが、特に体調の不良がなければそこまで気づくことは難しいとかかりつけの医師に言われた時、私はちょっと悔しかった。
その可能性にもっと早く気づいてあげてれば、もっと他のケアができたかもしれないのに……それだけが今でも本当に悔しい。
ごめんね。
私は君をとっても愛してたし、できることは全てしたつもりだったけど、まだまだ至らないところは多かった。
お留守番もたくさんさせてしまったし、忙しい時はあまりかまってあげられなかった。
ねえ、君はうちにきて幸せでしたか?
もし、聞くことができるならそれだけが気になるよ……。
21時20分。
間もなく、あの時間がくる。
時間がきたら、お祈りするよ。
君のために。
君と、虹の橋にいるたくさんの誰かの大切な子たちの分までいっぱい。
楽しく、幸せに過ごせますようにって。
大事な誰かがお迎えにくるまで、楽しく過ごせますようにって。
長吉……君は今、虹の橋で元気にしていますか?
お友達はいますか?
寂しくはありませんか?
お気に入りの場所はありますか?
いつものように、陽だまりで、気持ちよくねんねしててくれると嬉しいな……。
私はたまにちょっと寂しいけど、でも、美雨もいるから心配しなくて大丈夫だよ。
だって、いつかは会えるから。
美雨を置いて行くわけにはいかないので、まだちょっと会えるのは先になるけれど、ゆっくりねんねして待っててね。
大好きなだいすきな私の長吉。
ありがと……おやすみ。
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