今だから言えるけど、実は一昨年まで気にしたことなかった。
長吉が普通に家にいて、いつも通りの日々。
自分の家の猫のこと以外はなーんにも興味がなくて、保護猫のことなど知りもしなかったし、「猫の日?あー、語呂合わせねー……だから何?」って感じの無関心っぷり。
今の私と比べると、何に対しても無関心だった気がする。
どれくらい無関心だったかといえば
知り合いの家の猫が死んだと聞いても、「へー……そうなんだ。可哀想……」と思うだけ。
知り合いに会えば「気を落とさないでね」と社交辞令で言うだけで、実感は何もなかった。
実家の猫が亡くなった時も、もう家を出ていたのでさほど実感はなかった。そもそも実家のふくは私にはあまり懐いていなかったし。
近所に野良の子猫がいるらしいとご近所の噂で聞く。
「ふーん……保健所に捕まらなきゃいいねー」
今思うと、私はものすごくドライだった気がする。
ネコジルシに登録したのは長吉を迎えた翌年の2007年だったけど、登録しただけでずっと放置してた。
猫のSNSなんて物珍しかったので、登録したが、特に書くことも思いつかなかったので、放置していた。
当時の私は、別に他所の猫の写真見ても「へー、可愛いじゃん」以外の感想は何も出なかったし、自分とこの子は可愛いけど、自慢するのもなんだかなーだし。
本当、そんな感じ。
猫グッズも好きだったけど、今ほどは興味なかった。
その意識が変わったのは、長吉が虹の橋へ行ってしまってから。
恐ろしいほどの喪失感。
当たり前のようにいた子はもうどこにもない。
さよなら……穏やかで普通だと思ってた日々。
私はもう生きているのすら辛い。
猫なんかもう、二度と飼わない。
こんな辛い思いをするぐらいならもういい。
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そんな時にふとした拍子に思い出したネコジルシ。
そういやそんなのに登録してたっけ……。
プロフィールに残る若い頃の長吉の写真。
ああ、この子はもういないんだもん……、登録消すかなあ……と思いつつも、今までほとんど見ることもなかったコンテンツを最後に見ておくかーって感じでみんなの日記を読む。
楽しい猫との生活。
悲しいお別れ。
何気ない猫との日々の生活。
ああ、こんな毎日私にもあった。
……残したい……あの子が生きてたって証拠、残したい。
そして書いた最初の日記。
自分の心を整理するためだけに書いたものなのに、見知らぬ人たちが優しい言葉をくれた。
共通点は猫……それだけなのに、なんで?
無関心でドライな考え方しかできなかった私はこれをきっかけに、自分の飼ってた子以外の子のことを見るようになった。
面白いもので、一度関心を持ち始めるとどんどん変わっていく。
新しく迎える子の日記はワクワクしながら読み、虹の橋へ行った子の日記は泣きながら読んだ。
二度と飼わないと思っていた私は、他の猫に関心が出てきて、いろいろ調べるようになった。
地域猫と言う言葉、保護猫の存在、それまで知らなかったいろんなことを知るようになった。
あれから一年ちょっとで、私の生活はずいぶん変わった気がする。
考え方もずいぶん変わった。
美雨を迎えてからさらにいろいろなことに関心を持った。
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長吉をきっかけにチクチクの趣味まで持った。
いつか、この趣味を極めて何か役に立てることはないだろうか?と考えるようにもなった。
たかが猫。されど猫。
私の意識を変えるきっかけとなった彼らが幸せであるように今は願ってやまない。
猫の日ということで、ちょっと真面目なこと考えてみたw
美雨様、私が美雨様に何かできることはあるのかな?
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美雨「あたしにおいしいごはんをくれればいいとおもう」
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