ピーという音がなり、家にいた時次男と一緒に黙祷をしました。1分間の黙祷の間、涙が流れていました。
今日は東日本大震災が起きてから7年目。
なんだかあっという間に7年が経った様に感じます。
ネコジを始めて、去年の3月11日はひめ探しで日記を書いてなかったので、震災の事を記すのは初めてです。
いつ起きてもおかしくないこれからの大震災の為にも、私の体験を記しておこうと思います。
2011年3月11日。午後2時46分。
大きく長い揺れ、なんだか気持ちが悪い大地震が起きました。
その時私は家にいました。卒園する次男の為のアルバム、メッセージ作りをしていました。危険を感じ外に逃げ出しました。
揺れが落ち着き、2日前の地震の時に水門がしまった事を思い出した私。
スクールバスの通路が水門が閉まってしまう道を通る為、息子を迎えに行きながら連絡をしようと思い児童館に車を走らせました。
着いてみたら誰も居なくて、児童館脇の神社の階段を登って逃げた事に気付き、隣の小学校も誰も居ないのに気付き(長男は1年生)、私も神社の階段を登って避難しました。
神社に着いたらみんな居てホッとしながら、先生に連絡をして、避難解除まで待つ事にしました。
が、のちのち車を使うかも…ともう1人のお母さんと一緒に車を取りに戻りました。
車は防波堤の近くに停めていました。
そして、道路を走らせていると、車の走る方向とともに、すぐ海につながっている川が逆流して、逆流している車の脇を同じ速さで走りながら運転しました。
神社に着いて車から降りてちょっとの時間で津波が来ました。
児童館が津波ですっぽりと屋根までかぶって見えなくなった事、先生達の車が波に浮かんだ事、2波の前の波が引いた時に海底が見えた事、海が渦巻いた所があった事、今でも覚えています。

橋の向こうは川ですがたくさんの瓦礫が浮かんでいます。
子供達は、ジャンパーも着ないで上靴のまま逃げてきた子もいて、寒くてブルブル震えながらも泣いたりパニックになっている子もいませんでした。
1人だけ家が流されたのが理解した子が「家が…。ばあちゃんが…。ゲームが…。」と泣いていましたが…。
子供達はみんな立派でした😌
これが震災時の様子でした。
旦那は5日後に鉄道を歩いて家に帰って来ました。正直、半分ダメかも…と諦めていました。旦那が帰って来て、泣きながら抱き付いた事、覚えています。生きていて良かったって…。
後から私は先生に「車を取りに戻った事、辞めてって言ったのに、1~2分遅かったら戻って死んでたよ。」と怒られました。
この震災、家に戻って命を落とした人もいます。ペットを迎えに戻った人も…。
震災が起きたら絶対に戻らないで下さいね。
私がしてしまった危険な行動です。
命を落としたかもしれなかった事でした。
戻らなくて良い様に、大切な、大事な大事な家族のペットの子達も一緒に避難して欲しいと思います。
自分の命も、大事なペットの命も守って下さい。


まだ日記に記しておきたい事がありましたが、長文になりましたので、次回に書き残します。
長文に付き合って頂き、ありがとうございましたm(__)m

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