最初はやりたくてやってた訳ではなく、たまたまそういう流れになった。
18歳から20歳まで防水工事のアルバイトをやっていた。嫁さんともその頃から付き合っていた。
歌を続けるのに肉体労働でお金を稼いで機材費やギター代を貯めて購入する為だ。
仕事は体力筋力的にすごくキツく、夏は暑く、冬は寒くて大変だった。
嫁さんは僕が20歳の頃妊娠した。
当然、僕は結婚をする事を選んだ。
その時にこう感じた。子供ができるのに悠長に歌をやってていいのか?
歌はどうする?僕の小さい頃から目指した夢だった。その当時、俳優の竹本孝之さん(当時はドラマなどに出ていたのですが…知っている人いるかな?)の前座などをやって1000人位のホールで歌っていた。
プロも目前だった。ファンも大勢いる。
…結婚してできるのか…?
…ダメだ!機材費もかかる。
家具や電化製品、新しい家を子供が産まれる後一年以内で貯めないといけない。
…歌は…諦めるしかない!
ならば、まともに仕事をした方が良いのではないか?
防水工事のアルバイトは辞めだ。
そして、工場でアルバイトを始めた。
アルバイトから正社員の道を歩もうと思っていた。
そのほんのすぐ後に、とんでもない出来事が起きた。
…阪神・淡路大震災…
僕の嫁さんは妊娠中。
震源地から離れているとはいえ、家の家具はほぼほぼ倒れてきて、家の中は散乱状態になる。
大きな揺れの中、倒れてくる家具から嫁さんやお腹の中の子供を守った。
その後も大きな余震は続く。
シンガーソングライターになる為の感性を磨いてきたからか、僕はこう思った。
…被災地をみたい。
かなりお腹の大きい嫁さんと一緒に、パニックに陥ってる神戸の街をとんでもない交通状況の中見に行った。
電車は所々崩壊して止まっていて、乗り継ぎや歩きを繰り返し何とか西宮〜御影辺りに来ることができた。それ以上は火災もまだ起きているし行くことができない。
この、西宮〜御影でも空爆が起きたかのような街並みなのに、三宮〜長田の間はもっととんでもない事に今だになっているらしい…
…なんだコレは?
ニュースの映像で見る絵とは違う。
とんでもない惨劇の中にいた。
建物は全てというほど崩壊、または半壊していて、サイレンが色んなところからずっと鳴っている。
信号は一つも動いてるわけもなく、他府県からの警察が交通整備をしている。
支援物資や家屋の下敷きになっている人達を助けるべく払いのけられた廃材を捨てる為のトラックが渋滞して身動き一つ出来ていない。
ホコリが舞い、焼け焦げた煙の臭いしかしない空気状況。
地面は割れて水が飛び出している。
行き交う人は仕事なんか当然していない。
家や家族を失くして下を向いてうつむいている人ばかり。
水や食料を求めて生きる気力もない人達ばかり。
…なんだコレは?
コレがあの神戸?
同じ被災者といえ、場所が違うとこうも違うのか?
それは、自分が被災者ではない部外者のように思える程の悪夢のような風景だった。
…ダメだ。何か力になりたい…
でも、産まれてくる子供の為にお金は稼がないといけない。
大阪に居ながらお金を稼ぎ、神戸の人の為に力になれる事。。。
建設業しかない!
悪夢のような神戸の街で嫁さんにこう言った。
…建設業に…防水工事にもどってもいい?
…いいよ。そんな気がしてた。と言った。
そして、建設業界にまた舞い戻り神戸の為に尽力を尽くせたと思う。
三年後、阪神・淡路大震災の被災状況もかなり落ち着いていた。
そこへ、会社の社長が税金対策の為だけに、こんな話を持ちかけてきた。
一人親方としてやっていかないか?
…ナニソレ?(°_°)? 続く。

明日、出て行く町のローソンに住み着いている野良猫さん(=^x^=)
ローソンの入り口でスタンバイして、店から出て行く人に人懐っこくついて行き、猫好きな人からカリカリや缶詰を買ってもらっています(笑)
もう会えないけど元気でね(=^x^=)
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