
2016年幕開けと同時に色々な事がいっぺんに起こったなぁ〜
母の入院→父が呆ける→自分入院→あとら君も必然的に入院。
私は退院した直後から引っ越しを決断し動いた。
体力的にも物理的にも通勤は厳しいので在宅で仕事をさせてもらえるよう会社の人に打診。
快く承諾してもらえて、仕事が比較的暇になる夏にし、準備を始めた。
2016年7月
あとら君も20歳。
引っ越しに耐えられるか心配だったが、兄に車で迎えに来てもらいずっと私がキャリーを抱え搬送。
引越先は実家から徒歩5分ほど。
いままでの狭い1Kから2DKと広くなった。窓も多く明るい室内。
ただし古い!
ミステリードラマとかで犯人とか被害者の恋人とかが住んでそうなアパート。
あとら君もこれなら走り回ってくれるかな…と思ったけど
もう年寄りはもうそんなことしません。
ひたすら寝てます。引っ越しも乗り越えたあとら君。
そして少しずつ痩せていき、時々足がもつれておぼつかない事も。
餌場所やトイレまで後ろ足を持ち上げてフォロー。
それでもご飯はもりもり食べて、もりもりうんちもしてた。
2017年
父母もとりあえず落ち着き、私は色々・諸々心配事はたくさんあったけど、
あとらのひなたぼっこしながら眠っている姿を見ながら
仕事ができる日々に感謝していた。
こんな日々がずっと続くと思ってたよ。
心の隅でそんな訳はないと分かっていたけど考えないようにしてたのかもしれない。
7月に入ったか入らないかの頃、
21歳になったあとら君の様子がおかしい事に気づいた。
目が見えていないのだ。壁伝いに餌場、トイレに向かっている。
そして初めての粗相。
トイレにいくものの、見えていないからか、
前半身はトイレに入っているけど後ろは外でするようになった。
この時はまだ「トイレに行く」という行為をしていたが、
暫くしてトイレ以外でするようになった。
おむつは抵抗があったが、少しずつ慣れなせて装着。
ご飯もお湯で軟らかくして食べさせた。
日に日に衰えていくのが目に見えて分かる。
食欲だけは取り柄だったのに、口に持って行かないと食べなくなり、
水もストローで少しずつ与えた。
8月に入り、完全に寝たきりになった。
大好きだった日の当たる窓際を寝床にしてやる。
苦しそうにはしていないが、眠り続けている。
時々排泄するときに痙攣しながら小さい声で鳴く。
ちゅーるを口元に持って行くと起き上がって舐めようとするが身体が動かず足をもがく。
大好きだったちゅーるも半分も食べられず。また寝る。
私自身もベッドでは寝ずにあとら君のそばで寝た。
常に声をかけながら、「ここにいるよ」「そばにいるよ」ってずっと言ってた。
「大好き」「アイシテルよ」とずっと泣きながら言ってた。
今何が出来るか。何もなくてずっと側で泣いてた。
あとらは私が泣いていると心配してくれた。
だから泣かないようにしてたけど、また心配しちゃう。
8月13日午後3時20分回ったかどうか定かではない。(後で携帯の履歴でたぶんそのくらい)
私がパソコンに向かって集中して仕事していた。
あとら君、大きく痙攣した。声にならない鳴き声で口を開けている。
慌てて側に座って撫でる。
「ここにいるよ!大丈夫だよ!」(たぶんそう言ったと思う)
また痙攣する。それがいつもと何となく違って見えた。辛そうに見えたのだ。
「頑張ったね、もう楽になっていいんだよ」
3回目の痙攣の後、大きく息を吐いて静かになった。
本当に静かだった。
私は何が起こったか、本当に分からなかった。
理解したとき思わず口に出してしまった。
「え、本当に逝っちゃったの?」
「うそでしょ?」
身体はまだ温かく、でも微動だにしない。
息をすると上下していたお腹も萎んでしまって動かない。
動揺していながらも私の中で理性が働いていた。
「お疲れ様、ゆっくり休みなね。」
とは言ったものの、本当は心の中では
「逝っちゃ嫌だ、ずっと一緒って言ったじゃん、逝くなら私も連れてってよ!」
と言っていたのを忘れない。
これを書いている途中でもう号泣して鼻がつまり苦しい。
介護始めてから、看取って、それから9ヶ月。
どれだけ泣いただろう。
人生の中でダントツ一番辛い出来事でした。
もう絶対立ち直れないと思いました。
未だ思い出しては泣いてます。
ここまでの介護から看取りまでの経緯は誰にも話せていません。
苦しくて誰にも話せませんでした。
知らない人同士、猫好きが集まるここの日記だからだろうな。
あとら君の思い出はここまでです。
これからは4月29日に晴れてうちの子になった晴瑠之丞君をいっばい綴りたいと思います。

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