
下鴨神社の流し雛を見に行った。
雨に濡れた表参道の細かい砂利の上を歩いて、糺の森の奥にある神社を目指した。表参道が貫く糺の森はまだ冬の様子である。はだかの木が寂しく立ち並んでいて、森のむこうが見通せた。朝の雨は止んでいたが、葉の落ちたままの背の高い梢を透かして、曇った空が見えた。
自分があまり寺社仏閣の行事に行ったことがないためか、意外なほどの人の出の多さに驚いた。観光バスまで出ているようであった。どこかのテレビ局もやってきていて、思いのほか大きな行事であるらしかった。神事が行われている御手洗川の周りには幾重にもかさなった人垣が遠くまで伸びていて、とてもその中で厳かに進められている神事の様子はわからなかったけれど、川に掛かる輪橋のたもとに生えた紅梅は、人々の頭の上を越えてきれいに咲いていた。尾形光琳が国宝「紅白梅図屏風」に描いた、有名な「光琳の梅」である。
一度は止んだ雨が、また降り出した。あいにくの空模様ではあるが、御手洗川のほとりには白い和傘が二つ、三つと開いて趣を添えた。
神事が終われば一般の参拝客が流し雛を流す番で、訪れた人々は稲わらを編んだ桟俵の流し雛を買い求め、御手洗川の清流に浮かべるときを待っている。雨を避けて境内の真ん中にある舞殿の軒下に入ったら、同じく隣で雨宿りをしていた女性が、両手で包みこむようにして持った流し雛を、慈しむようなまなざしで見つめていた。稲わらを編んだ丸い形の船の中に、可愛らしい雛人形が仲良く並んでいる。女性は、流し雛を胸にぎゅっと抱いて神事が終わるのを待っていた。
やがて神事が終わり、参拝客たちは石段を川縁へと降りていった。石の川床が間近に見える浅い水の上を、それぞれの思いをのせた流し雛が、ゆっくりと、次々に流れていった。
ずっと細くなった御手洗川の下流では、先の神事で流された流し雛が、一つ、二つと、水面に掛かる青草の陰に静かに浮かんでいた。ときおり、その川底がきらきらと光るように見えた。
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