私には現在、三年前に重篤な脳出血を発症し、日常生活全介助になった64の母がいます。食事は経口摂取できませんので、胃に穴を開けてそこから栄養剤を流すという胃ろうです。喋ることも歩くことも座って体勢を保持することもできません。
ピンピンしてたのに、さっきまで一緒にご飯食べて今度はどこどこのイタリアン行こうよ。などといつも通りの日常生活を送っていたはずだったのに、突然自宅で倒れて母の人生、私の人生、またその他家族の人生がその日を境に180度変わってしまいました。
私が結婚して一年後の出来事でした。
いつ死んでもおかしくない状況でなんとか急性期を乗り越え、一年の入院を終えて在宅介護が始まりました。
今まで介護のかの字も知らなかった私は初任者研修を受けて介護のスキルを学びました。母はまだ若い、病院が終の棲家なんて考えられなかったんです。
同じ市内の実家に父と弟が一緒に暮らしています。何度も介護のことで揉め、特に弟とは考え方が違って、在宅介護を希望している私とは反対に病院に預ることを今でも希望する弟。何度も喧嘩が絶えませんでした。
母は言語野をやられ、返事をすることも理解することもできません。全失語です。
けれど、喧嘩をすると頭ではわかっているみたいで泣いていました。そんな母の泣き顔を見るたびに自己嫌悪と弟へのストレスが半端なかったです。
そんなこんなしているうちに在宅介護も二年目になりました。今では父も弟も協力してくれてはいますが、まだ意見の合わないときはバトルしてます。
要介護5身体1で、毎日介護サービスを使ってます。ヘルパーさんや訪看さん、リハビリの方々には感謝してもしきれないくらいです。
ひと昔前なら、全部ひとりで介護しなきゃならなかったし、サービスの方が全力で母のためだけに介護のお手伝いをしてくれるから私も頑張れる。
今もふと元気だった頃の母を思い出してはひとりで泣いたりしています。健常者として生活していたのに、いきなり障がい者になってしまい、市役所に手帳云々の手続きをした時は辛すぎておかしくなりそうだった。
母は本当にこれでよかったと思ってくれてるんだろうか、私のエゴじゃないか?とか悶々と考えていた時期もあったし、これからのことを考えてはため息ばかりついてました。
目の前にいるのに、以前の母ではない。
オムツ交換しながら悔しさでやりきれなくて何度も隠れて泣いたこともあったけど、車椅子に乗せてお出掛けしたり、イベントに連れていくと嬉しそうな表情をします。最近では表情でなんとなく言いたいことがわかってきた……気がします(笑)
そんな母が倒れたのが忘れもしない10月8日だった。けれど、同じ二年後の10月8日に新しい家族がうちに来ました↓
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今まで大嫌いな日だったけど、ミクのおかげで素敵な記念日になった。
旦那と我が子のように溺愛してます。
デイサービスを使ってないので毎日付きっきり介護で、仕事も辞めました。でも疲れて自分の家に帰るとミクが出迎えてくれて、それだけで癒しになってます。たまにイタズラして散らかってるとげんなりします(笑)
愚痴ばかりの長文でしたが、スッキリしました。
ここまで目を通していただきありがとうございました。
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