国語とか算数とかを期待していたのに、
まさかの道徳。
「ぼくもいれて」
ドッチボールに入れて欲しい男の子と、それを断る男の子、回りのクラスメイトたちの話でした。
仲間に入れてもらえなかった男の子の気持ちを答える時、長女が手を挙げてあてられました。
「がんばって"入れて"って言ったのに、冷たい言葉をかけられて…」
その先が言葉になりませんでした。
先の言葉は他の子が「悲しい」と答えたけれど、本当はそれだけじゃない。
悔しかったり、腹立たしかったり、
何で自分じゃダメなんだろう?と悩んだり。
色々な感情が混ざって言葉にならないんだろうと思いました。
授業は、仲間はずれをしない、仲間はずれにしようとした子に注意しようで終わりました。
その後、集会がありました。
テーマは「絆」
劇や、歌や、川柳、
私は、外部の先生による絆作りの講座が、いちいち心に刺さりました。
過去は見ない。
ジュースをこぼしても「あちゃーどうすんのよ!」じゃなくて、どうしたらいいかを考える。
自分の知っている〇〇さんは、日々成長して、今の〇〇さんとは違うとか。
みんなで一体感を味わうゲームをしたり。
さぞや長女にもいい経験になった…と思ったら、
実は集会の途中から気分が悪くて、まったく伝わっていない様子。
帰ってからも布団に臥せって、しばらくは声もほとんど出せず、ご飯も食べたくないと言っていました。
原因はおそらく、道徳の授業。
仲間はずれはしない、そう言ってたのに、私のことは入れてくれなかったじゃない。
体調ではなく、(言葉は悪いけど)胸くそ悪かったんだろうな。
絆の歌も以前「私の絆は保育園の時に切れたし」とか言ってたし。
悲しい、悔しい、腹立たしい、なんで私だけ?保育園の頃に戻りたい、
色々な感情が心の中で渦を巻いて、長女から声を奪ったのかな。
まだうまく言葉にできないから、苦しいのかな。
だけど、今日の道徳の授業でひとつだけ学んだことがあって。
それは、「子ども自身の言葉で言わせること」
先生は、時間がかかっても子どもたちの言葉を代弁するようなことはしなかった。
きっと私が口に出したら、
「悲しかったのね」「むかついたのね」
それが合っていても間違っていても、
長女を縛りつけてしまう気がして。
心のモヤモヤに名前をつけて分類する必要なんてない。
時間はかかったけど、
その後起きて夕飯も食べ、
いつもは出さないおやつも食べて、
宿題をするうちにだんだん声が出るようになった。
「気が晴れた」ようでよかった、よかった。
最後に、もりもりやま家、空前のオセロブーム到来です。
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コマが気になる桃太郎。
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