私にとって11月は祈りの月であり、虚無の月であり、不安の月だからだ。
昔から11月は私にとってあまり良いことのない月という印象がある。
体調はなぜか悪くなり、不定愁訴が増え、感染症にかかりやすくなり、不慮の怪我や突然の病気をすることが多い。職場や個人の付き合いがなぜか悪化する月でもあり、私にとって一年で最も警戒する月が11月だ。
今月に入ってから、やはりなんとなく体調はすぐれず、気分は憂鬱だ。
嫌なことも立て続けに続いた。
先週などは歯医者で奥歯を削っている時に、うっかり舌の裏をドリルで削られてえらい目にあった。
ああ、やはり11月はろくなことがないなと思う。(痛みはだいぶ引いたが)
11月は親族が多く亡くなっている。
祖父が亡くなった月、父が亡くなった月、叔父が亡くなった月。そして長吉が虹の橋へ渡った月。
なんだろう、うちの一族は11月に呪われているのだろうか?とすら思うことがある。
ああそういえば、先ほど日付が変わったので、もう今日なのか。
あの子が私の前からいなくなってもう3年も経ってしまったのか。
悲しみは癒えたけど、寂しさは完全には消えない。
美雨様がいてくれて、心は穏やかになったけど、まだ心のどこかに小さな穴は開いている。
おそらくこの穴はもう二度と塞がらないのだろう。
よく考えてみれば、毎年この日だけはさみしい気持ち、悲しい気持ちを書いている気がする。
もうそろそろいい加減、立ち直らなきゃならないのにね。
でも無理だ。
覚悟の別れじゃなかったから、突然の死から立ち直るなんてそうそうできるものじゃない。
確かに、激しい悲しみは治った。
だけど、地味に痛いのだ。
悲しんでいてもあの子が戻ることはないし、そんなのわかっている。
無理に忘れることもしなくていいし、無理に元気にならなくていいのもわかっている。
だが、悲しい顔を美雨には見せたくない。
美雨は私の感情に妙に敏感で、私のテンションが下がっている時や、体調が悪い時は異常なほどに側に寄り添ってくる。
そういえば長吉もそんな子だった。
母や父が亡くなって、嘆き悲しんでいた時、あの子は一晩中私のそばから離れなかった。
高熱を出してうなされている時も、枕のそばでずっと喉を鳴らしてくれる子だった。
かつての長吉と同じ行動をとる美雨を見ると、私はこの子に心配をさせているのかと不安になる。
だから、もうそろそろ悲しむのは終わらせて、心配させないようにしたいのだが。
でもダメだ。
どうしてもできそうにない。
写真の中のあの子を見て、また寂しくなってしまうのは、もう終わりにしてしまいたい。
だけど、それはやはりできない。
今でもフラッシュバックのように浮かんでしまう、長吉の突然死の瞬間。
一番忘れてしまいたい場面を、私はどうして忘れられないのだろう。
私はどうして辛いとわかっていて思い出してしまうのだろう。
自分で辛い記憶を思い出して、痛みに耐えているなんて自虐的で馬鹿馬鹿しい。
だけど、それはもう私の中では絶対に折り合いがつけられないことなのかもしれない。
長吉の写真は三年前から一枚も増えない。
もう、すべての写真を頭の中に記憶してるんじゃないかというほど何度も見ている。これ以上新しい写真は増えないのに。
いくら見たって動かないのに。
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長吉や。
君は今虹の橋で何をしているのだろうね。
君はいつも何か物思いにふけっているような、穏やかな子だったね。
私はそんな君を見るのがとても好きだったよ。
帰ってきてほしいと願うのは私のエゴだ。
だけど、もしも一度だけ帰ってきてくれるなら、この写真のように、じっと何かものを想うように私の側に1日いてほしいな。
甘えなくてもいいよ、遊んでくれなくても、喉を鳴らしてくれなくてもいいよ。
ちょっと離れたところで、じっと側にいてくれるだけでいいのに。
おや、美雨様。
私の後ろでじっと私の背中を凝視してるね。
大丈夫。心配しなくていいよ。
悲しんでるわけじゃない。
懐かしんでいるだけだよ。
そう。
寂しいと懐かしいは私のなかでとても似た感情なのよ。
私の苦手な11月。
だけど懐かしい11月。
あと半月弱。
私は穏やかにこの月を終えることができるよう、毎日を過ごすだけ。
そして今日の21時20分。
私はまた今年も、あの子のために祈ろうと思う。
珍しく、重い話になって申し訳ないです。
次は、また楽しい内容をあげられるように頑張って復活してきます。
そのためにまた、しばし沈黙します。
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