動物病院へと。
診察室に呼ばれて入ると
獣医の先生が銀のお皿を冷蔵庫から出し
昨日、マモーが私たちを見送った
あの診察台に
ことり と置いた。
小さい栗くらいの大きさの、
濡れたピンクの塊がころころと5つ、
白い紐のようなもので繋がっていた。

(数日後、これのガチ画像を挿しこみます。今日は自粛。)
「5匹でしたよ。」
「5匹・・・」私たちは絶句した。
「まだ、猫の形はしていません。胎胞です」
「そうですね」
「ここが卵巣。ここが子宮口です。
そして胎胞につながってですね・・・」
普通に、レストランの料理の説明か、生物の解剖の授業でもするかのように 先生は「こどもたち」をつつきながら淡々と説明を続けた。
生々しく血や粘液にまみれた「こどもたち」。
メンタル弱い人なら、
最悪吐いてしまうやつや。
胎胞はまだ猫の形はしておらず、動きもしない。
それでもそれは、あと20日もすれば
骨ができ、鼓動を打ち、痛みを感じ、
お腹から出せば呼吸をしようともがき出す
ひとつの「いのち」そのものだ。
都会の病院であればこの時期堕胎は多く
1週間でダンボールいっぱいになるくらい
胎児の廃棄をすることもあるそうだ。
「救う命、殺す命、半々」
そのように聞いたこともある。
殺してください、生かしてください
どちらなのかは持ち込むニンゲン次第。
それが 現実なのだ。
さて、動物の堕胎をしたら、こうする決まりなのだろうか。私たちに、まだ血に濡れた「元・こどもたち」を突きつけて、私たちがどれだけマモーに負担をかけたのか、どんなひどい仕打ちをしたのか、思い知れと言わんばかりに見せつける。
その冷たい「元・こどもたち」はマモーから切り離され、ただの肉塊になってしまっていた。
もちろん今思えば、先生は私たちの依頼通りに手術、処置をし、そしてその結果の説明をしているにすぎない。
それに対して、わたしが勝手に傷ついているだけなのだけど
「あなたの代わりに この通り
私がこの子たちを殺しておきました」
そう言われているような気さえした。
でもね
それは本当におなかを切られたマモーの痛みに比べたら、全く取るに足りないものに違いないのだ。
説明が一通り終わり、薬をもらい、
マモーを連れてきてもらおうというところで奥からスタッフさんが私たちを呼んだ。
「すみません、マモーちゃん怒ってて
触らせてくれなくて💦
ゲージから連れて来れません。
来てください」
「えっ?!」
「マモーが、怒ってる?」
信じられなかった。
マモーはとても穏やかな子で
私たちには威嚇すらしたことがなかった。

病院の奥の、ケージの並んだ部屋の隅のケージの奥の角に
貼り付くかのようにうずくまるマモー。
スタッフさんは
怒ってて触れないと言ってたけど、
「マモー、来たよー」
「大丈夫だよー、おうちでモンプチ食べよー」
マモーの名前を呼びながら
部屋に入ると、
マモーは怯えてはいたけど
その目には怒りや威嚇の色は全くなかった。
そこにいたのは
私たちの知っている
小さくて柔らかい
可愛いマモーだった。
「・・・あれ?マモー、怒ってます?」
「ええ、ついさっきまでは。
やっぱり飼い主さんが行くと、ネコちゃんの態度が全く変わりますね」
「え、マモーの態度、変わりましたか」
「ええ、全然違いますよ」
「あの、私たちは、先月保護しただけで
飼い主ではないのです」
「あ!そうでしたね。じゃあ、マモーちゃんにすごーく信頼されてるんですね」
なんと。
マモーは・・・
私たちからこんな仕打ちを受けてもなお
昨日「助けて」と叫んだ目の前で
扉を閉ざされたというのになお
私たちをまだ
信頼してくれているというのか。
「マモー、一緒におうちに、帰ろう」
ケージからマモーを出す前
念のためと分厚い手袋を渡されたけれど
マモーは爪も立てることなく
大人しく殿に抱き下ろされ、
バッグの中に収まった。
・・・一緒におうちにかえろう と
私たちの口から出た言葉は
「保護猫を世話する者」が
野良猫にかけるものとは程遠く
それは
かけがえのない「愛する家族」を迎えに来た
「飼い主」以外のなにものでもなかった。
完敗だ。私たちの負け。
薬袋に書かれた
私たちの苗字と
その下の
小さく丁寧な手書きで書かれた
「マモーちゃん」という文字。
それは
「うちの子、マモー」
そう書いてあるかのように見えた。
家に向かう車の中。
かばんはずっしりと重く、温かい。
私はマモーの名前は呼ばず、
ただバッグの中のマモーを撫で続けた。
こんな酷い目に遭わされて
そんな時しょっちゅう「マモー、マモー」と聞こえたら
それは自分の名前ではなく
「マモー」という響きが
マモーにとっての「イヤなこと」が起こる時にニンゲンが言うワード、そしてイヤなことへのトリガー(引き金)なんだと
認識されるのが怖くて。
家に帰ってバッグをフルオープンにしてもしばらくは
マモーはバッグから出て来なかった。
でも少しずつ、少しずつ
「いつものおうちにいること」
「いつものおうちのニオイ」
に気がついてそろそろとバッグから抜け、

「ココがオウチ。ワタシのオウチ」
「ワタシの場所はココなの」
と確かめるかのように家中をくんくん歩きまわり
マモーのお気に入りの窓辺
キッチンの隅のダンボールトイレ
いつも寝ているソファの定位置
こどもたちをかつて産んだ場所
餌や水の置いている場所
テレワークの殿と寄り添う椅子の背
落ち着くテーブルの下のカーペット
怖かったり驚いた時駆け込む天の岩戸
のパトロールを一通り終えて

そして最後に
テレワークの殿が休憩の時
いつもマモーと遊んだり寝転んだりする
和室に敷いた、い草の敷物の上で
コロリンと寝転がり
私たちを誘うようにゴロゴロと
喉を鳴らし、
「ニャッ、ニャッ」と短く鳴いた。
「マモー‼️」
私たちは和室に移って
川の字のように
マモーを真ん中に 私、マモー、殿の順に
寝そべって、殿と一緒にマモーをぎゅーっと抱きしめた。
抱っこの嫌いなマモー。
膝にも乗らないマモー。
でもマモーは隣に寄り添う殿の手に
そっとその肉球をのせた。
「おかえり、マモー。おかえり‼️」

続くのだ‼️
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