前回の日記はこちらから!
少し荒れ気味のネコジ。
ちょっと箸休めにと、
猫なし日記を書いています。
イランで知り合ったファティメ。
私も日本に帰りお互い普通の生活をしてたけど
日本を震災が襲いました。
ファティメがその時取った行動は。
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🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈
東日本大震災で、
兵庫県にいた私は無事だったけど
働いていた葬儀物品の商社には東北から棺桶の注文が殺到した。
被災地の人達の苦しみは計り知れない。
だから被災もしていない私たちは
弱音を吐いちゃいけないんだと
日本中が必死で歯を食いしばって
悲しみや苦しみに耐えていた。
毎日増える犠牲者。私の仕事も忙しくなり心身共に疲弊していた。
そんな時、私のあるSNSアカウントにメッセージが届いた。
「私はファティメ。日本人の友達を探しています。彼女はあなたと同じ名前です
ねえ、ミキ、お願いよ、もしあなたが私のミキなら返事して」
Hi I’m Fatimeh I’m looking for my friend whose name is same as you. Miki, if you are the Miki, plz text me back
ファティメ!? Fatimeh!?
正直ファティメやイランのことは忘れていた。だって、エスファハーンにいたのは3日か4日くらい。ファティメと遊んだのだってたったの2日。それなのに。
ファティメは、私の名前しか知らなかったというのに、日本の全一億三千万人の中から私1人を探し出した。
耐えていた涙がこぼれた。
「ファティメ、私、ミキ!
生きてるよ、大丈夫だよ!」
私はすぐメッセージを返した。
彼女は私と同じ名前全員にメッセージを送って必死で探したそうだ。
「ほんまに、あほやなあ」って言いながら
私は涙が止まらなかった。
こんな遠くから、私を心配する人がいる。
これを、愛と言わず何と言おうか。
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「私にとって今まで日本は「外国」だったけれど、ミキに会ってから「私の姉の国」になったの」とファティメ。
She told me “For me, Japan was just a foreign country, but after I met you, it became my sis’s country”
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その後イランからは日本の被災地に
缶詰食糧18トンが支援された。
私の心にはファティメからの
友情の絆という名の支援が届いた。
Thank you ممنون
ありがとう🇮🇷🇯🇵
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隣の国や遠い国であっても
それが「友達や家族の国」なら、病で差別などしないでしょう。路上で襲ったりもしないでしょう。
今こそ、世界に冷静さと、思いやり
そして愛を。
🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈🐈
はい。以上です。
これは、コロナが流行した今年の3月、
書いたものです。
アジア人というだけで暴行されたり
唾を吐かれたり。酷かったですね。
いま、書き換えるとしたら
「知らない人やネットの中だけでも
それが家族や友達なら、
罵ったりはしないでしょう。
言葉を選んでコメントも書くでしょう。
今こそネコジに冷静さと思いやり、
そして愛を。」
かな。
私は昔、3年半かけて3度に分け、
オートバイで世界を3周しました。
80ヵ国を走り、距離は20万キロを超えました。
最初の旅、アメリカでは現地でハーレーを買い、50州全てを一年かけて走りました。
2度目は日本で買ったハーレーを
ロシアに富山から船で渡り、
ユーラシア大陸、南米、北米を走り
3度目は日本からオフロードバイクを
南アフリカに送り、そこからアフリカ縦断、
中東、アジアを走りました。
私は、バイクに乗っていただけなので
すごくも何ともないですが、
道すがら、知りもしない、言葉も通じない
外国人の私のことを
世界中のみんなが助けてくれました。
出会った人の数だけ
「無事に生きて帰る」という約束は増え
私は1人だったけれど
たくさんの人の気持ちと共に走りました。
私が生きて帰ってこれたのは
世界中のいろんな人の
「愛」や「思いやり」があったからこそです。
今の私の命や人生は、
家族でも友達でもない、
あの時の誰かさんの小さな親切の積み重ねに
護られていたのだと。
今思うと私は あの広い世界の中で
捨てられた子猫か、迷い猫のように
見えたのでしょう。
路上にウロウロする頼りない子猫を
思わず私たちが抱き上げるように
「助けてあげなきゃ」と
思わず伸ばした手は
私たちも、外国の人々も、
国籍、民族、宗教、肌の色は違えど
同じ温もり、同じ心から来ているのです。
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言葉が通じない私とファティメでも、
心が通じ合ったのに、
同じ言語を話す者同士の私たちが
コメントや日記で誰かを傷つけるのは・・・
もったいないよね。
残念ながら、
人は人から、深く傷付けられる。
言葉があるゆえに、
言い合いになったもする。
でも、私は知っています。
どん底から救ってくれるのも
優しい慰めの言葉をくれるのも、
心震える優しさをくれるのも、
やっぱり、人間なんです。
だから私は
傷つけるために「ことば」を使いません。
ことばを持ったのは人間だけなのだから
傷付け合うために使うのは、違う。
誰かを、元気にするために
誰かに、好きだよって伝えるために
誰かに 笑顔になってもらうために
ことばを使いたいなと思います。
(努力目標やで💦)
ことばを持たないのに
あんなに表現豊かで
あんなに愛くるしくて
私たちを癒してくれる猫さんを
ちょっと見習いたいですね❤️
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