憂鬱なシゴトが待ってる朝でも、
そんなこと意に介さない猫族の「にゃ!」で、
私は前向きな気持になれる。

猫族が朝「にゃ!」と声をかけてくる。
その理由は様々だけれど、ホントの理由は分からない。
「おはよう」ではなく「お腹すいた」が近いかも。
これが「事実」だ。
けれども、私は頭の中で「現実」として「おはよう、とおちゃん!」と入れ替える。

子供の頃、うちは恵まれた家庭とは言えない環境だった。
喧嘩の絶えない両親、更に事業に失敗した親父に借金取りが数日おき、うちにやって来るような。
そんな日常を過ごすうち、嫌でたまらない「事実」から逃れるために私は、どんなに小さなイイコトでも、
それをシアワセであると「現実」で読み替えるようになった。
単純なことでシアワセな気持ちになれる。
私のシアワセのしきい値は、かなり低いと思う。

誤魔化してると思ったそれが、大人になって結構役に立っている。
自分につく嘘は、いつか「真実」になる。
そんな小説のようなセリフ、嘘だと思ってたけどホントだった。
今の私は、たくさんの猫族に囲まれて、事実・現実シアワセだ。

望むことは多い。
けれども、ニンゲンの欲には底がない。
だから、ほどほどでシアワセを感じることができる。
それは生きやすさのスキルかもしれない。

これくらいでいいんじゃね。
そんな大切なことを、猫族は教えてくれた。
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