こんにちは😊
何から書けばよいか、うまく書けるか分かりませんが、聞いていただけたら嬉しいです😊
暮らしの中にネコが加わったのは、20年前の11月9日でした。
パートで働いてた工場に、ある日ひょっこり二匹の子猫が現れた!と聞きました。
私が夕方6時から働いてるときに、ヒトリ私の足元にやってきて、低い台に乗ったかと思うとスヤスヤ眠ってしまいました。なんて可愛い子なんだろう!と思いました。
ヒトリは懐くことなく逃げてしまい、この子だけが工場に居ついたのだ、と皆が言い、みーちゃんと呼んで可愛がっていました。
工場長は家に連れ帰り、シャンプーしてあげたりもしたそうてす。
でも、夜は外に摘まみ出すんだ!とも聞きました。
私はみーちゃんを欲しいと思いましたが、ウチには犬が4名と鳥が居るんだから無理だよ!と夫に反対されました。
何日かすると、みーちゃんは居なくなりました、社員の男性が連れて帰ったのでした。良かったな、と思う気持ちと、ガッカリの気持ちが混ざりました。
ところが、直ぐ様みーちゃんは工場に帰ってきたのです。何でも、父親と息子が反対したからだ!というのが理由だそうです。アレルギーが原因か、ネコ嫌いかは忘れましたが。
何日かたって、みーちゃんはチョットした怪我を負ったと聞き、心配になりましたが、一番可愛がってる人が病院に連れていくわけでもないし、近所のネコが沢山いる人に相談すると、すぐ工場に行って皆と話そう!と言ってくれました。私の勤務は夕方だったので、日中に行きました。(この前日記に書いた犬仲間のSさんです)
皆に、一回お酒を飲むのを我慢して、そのお金を皆で集めて避妊手術代にして、それで工場で皆のネコちゃんとして可愛がったらどうだろう?と提案してくれました。皆はうんうん、と頷いていました。帰り際にご飯箱を覗くと、ご飯粒と白須が入っていました。そしてSさんと二人でみーちゃんを病院に連れて行くと、怪我は大丈夫だったと思います。検便をしてくれて問題なく、お金は要らない!と言ってくれました。
みーちゃんを工場に送っていきました。Sさんは、子猫用の安くないカリカリを「みーちゃんにあげて!」と渡してくれました。自分はそういう気が回らない人間で恥ずかしいと思いました。
しかし、何日もしないうちに、話が変わってしまいました。「いつまでも工場に置いておく訳にはいかん!保健所に連れていけ!」と、上の人間が言ったのです。ウチは鳥が居るからダメ!ウチは犬が居るからダメ!と、だーれも自分ちに!という人が居なかったのです。そして、「アンタんちはどうだ?」と訊かれました。「ダメだと、みーちゃんは保健所に連れていかれちゃうんです!」私はみーちゃんが欲しかったから、前から何百回も夫に懇願していました、「耳と鼻と手足と尻尾が茶色い可愛い子だよ!きっと気に入るよ!」と。
夫は根負けして、「いいよ😊」と言ってくれました。みーちゃんがウチに来たのは、11月9日の寒い寒い夜でした。今日がお外に子猫がヒトリで居るギリギリ限界だったな、と思い、込み上げるものがありました。
その日はケージの用意が出来ておらず、バスケットの中に入れたまま玄関で一晩頑張ってもらいました。いま考えると、酷いことしたな、どうしてリビングに入れなかったか、と思います。翌朝驚いたことに、蓋を押し開けて出て、靴のラックの上で寝ていました。
夫がみーちゃんを見て言いました「し、し、しま柄じゃないー😱」
私が容姿の説明を何回もしたのに全く聞いていなかったことに驚きました。
母は、「犬が4ニン、鳥も居るのにネコまで?全くもう!」と言いましたが、夫が出向いて「おかあさん、お名前つけてあげて!」と頼むと、「んーん、じゃあ、しあわせの幸って書いて、[さと]」と命名してくれたのでした😊
幸(さと)ちゃんは「さとちゃん!」と一度呼んだだけで、自分は さとちゃんなんだと理解してくれました。
「さとちゃん!」「にゃー」必ずお返事してくれます。
検便をしてくれたS先生の所に連れて行くと、もう歯は永久歯だ!と言われました。避妊手術の予約をしたのですが、こんなに元気な子にメスをいれるなんて…と考えるようになり、予約のキャンセルの電話をしたのです。それが大変な間違いであったことに、10年経ってから気がつくことになります。幸ちゃんは、犬たちと接触しないようにリビングの隣の和室でヒトリで生活するようにしました。夜はリビングに置いてある二段式のケージで眠ります。
ああ、古い日記帳を見ないと、正確なことが思い出せなくなってます。
はじめのころは、夜になるとリビングに連れてきて、私の膝で一時間くらい寛ぎました。その間 犬たち4名は静かでした。「じじバスー🚌!」と呼ぶと、夫が迎えに来てケージまで連れていきます。そしてまた翌朝さと部屋に行くのです。
いつの頃からか夫は さと部屋に布団を敷き、さとちゃんも一緒に寝るようになりました。朝 苦しくて目が覚めると、さとちゃんが胸に乗っかって小さな鼻の穴から冷たい空気を顔にかけてくれてたそうです。
さとちゃんは人見知りなのと、押し入れが好きなのとで、よく入っていました。ある日ウッカリ閉められた さとちゃんは、鳴きもせずに出てきたのです、襖を貫通させて😱
大きい段ボール箱にポコッと入った時は意地悪してひっくり返しといたら、やっぱり天井を貫通させて出てきました😱
ずいぶん後になってから分かったのですが、パン焼き器に被せてたビニールや押し入れの布団に茶色いシミがあたのは、オシッコだったんですね。
ニャーニャー聞こえるたび「寂しくなっちゃった?」と言い さと部屋に行って遊んでたくらいでは足りなかったんですね、物凄く寂しかったんですね。
犬の散歩の時に窓を見ると必ずさとちゃんがこっち見てて、「さとちゃん」「ニャー」
ある日さとちゃんが言いました「みどりがめが欲しい!」と。(私の耳は都合がいいんですかね )
いぬ4、ネコ、とり、カメ、賑やかな家になりました。あとイグアナが欲しい!と言ったら流石に却下されました。
♪こんなに可愛いさとちゃんが、うっちの子だなんてー♪二ャンニャン♪母ちゃんとっても嬉しくて♪涙チョチョン切れるー♪
こんなに可愛いさとちゃんも♪秘密があるんだね♪ポコポン♪母ちゃん秘密を知ってるぞ♪さとちゃんタヌキなのー♪ポコポン♪
膝の上に乗せて、そうだな、一万回くらい歌ったかな…。
爪切りも嫌がらず良い子です。
今でもタヌキ顔のシャムMixが大好きです💕
鈴木保奈美みたいに白目の下が見える子で、白目の部分は美しい、スパーンと抜けた水色です。
福ちゃん😸には言えない。(福ちゃん😸の目は群青色)
ある日、さとちゃんの残したご飯を食べに行ったラッキー🐶の後ろに他の犬も付いてきてしまい、驚いたさとちゃんは、はずみで私の足の甲をガブッと咬みました😱
私はクリニックで点滴を打ってもらいましたが腫れて歩けなくなりました。家の中の1cmの段差が越えられないほどに。階段を後ろ向きにお尻で上がり終えた直後にピンポ~ン♪「荷物です」「降りられないので置いていってくださーい!」「盗難にあったりしたら…」「盗まれても、いいですぅー!」(姑からの素麺)
二度めの点滴で完治しました。
おっぱいを触るとジャリジャリしてる気がして遠いM病院に連れていきましたが異常なしで安心しました。
が、10歳の時、しこりが有ることに気がつきました。近所のM病院で検査をすると、乳腺腫瘍でした。M本院での手術。しかしリンパ腺への転移。保険には入っておらず、手術費は多額。だーれもお金を貸してくれる人はおらず、東京の足立区の(住んでいない方の)家を売って手術代にしました。
朝に新しく出来てるシコリは夕方には5倍くらいの大きさになり、急いで手術。肺への転移を懸念して何度もレントゲンを撮りましたが、それは問題ありませんでした、が、尿の色が明らかに異常で、肝臓へ転移してることが分かりました。肝臓はドンドン大きくなり、オシッコうんちは出づらくなり、病院で手でかき出してもらうようになりました。ご飯も食べなくなり、さとちゃんは おとなしい子なので麻酔なしで鼻にチューブを縫われてしまいました。流動食も飲ませすぎると吐くし、ゆっくりゆっくりです。全く大変だとは感じず、二人だけの穏やかな時間が流れました。
一度は自分で食べられるようにり、鼻のチューブは外されました、
ちょっと調子が良さそうな時は犬たちと車で公園に行き、抱っこでお外を見ました。思い出は皆んなの胸に。
再び鼻にチューブを縫われて痩せていきました。自慢の水色の目も顔も、黄色っぽくなりました。ケージの二段目に上がれなくなり、分厚い畳のクッションを置くようにしました。もう、静かに過ごさせてあげればいいのに、嫌がるさとちゃんに無理やり吐き気止めの薬を飲ませたこと、自分の欲望が強すぎたな、と申し訳ない気持ちです。11歳になったさとちゃん、お盆休みは、脱水を良くするための点滴セットを病院から借りて、私がやってました。
が、さとちゃんは犬たちに囲まれながら8月13日 おねんねしました。
避妊手術をして子宮も卵巣も取っておけば、乳腺腫瘍になるリスクは減らせたのに、そんなこと知識で知ってたはずなのに、それをしなかったバカな私。恨むのは筋違いでしょうが、S先生が、キャンセルを快く受けてくれたりせずに、手術を受ける重要性を語ってくれてたら、違ってたのになあ、と思うのです。
私は沢山の子を不幸にしてきたんだな、と思うと、涙が止まりません。それなのに何時も動物たちを側に置いて暮らしているのです、今度こそ過ちを繰り返さないように気を付けるから、と。
ウチの子たちは皆んな幸せなんだろうか?と常に考えます。何時もどんな母ちゃんでも許してくれてるように思ってるのは、勝手な思い込みかもしれないけど、少なくても母ちゃんは幸せです😊
私がネコジルシで覚えた言葉、虹の橋、という言葉は私は使わないです。おねんねしたら、どの子も永遠になる、と私は思って生きているので。
他にネコジルシで覚えた言葉
・いか耳、さとちゃんを叱ると耳をクルッと後ろに向けてピタッと塞いで「聞きたくありません!」そして、「これ以上言うな!」と両手で私の口をピタッと塞いだっけ。
・チッコテロ、さとちゃん、そうでしたね。
・おちりトントン、言葉は知らなくても無意識にやってたんだな。
・ずっとのおうち、なんて素敵な言葉✨
ここまで、長すぎる序文です。
さとちゃん似の子は、当時(9年前)いくら探しても見付かりませんでした。
ペットショップに行くと、似ても似つかぬノルウェージャン😻が居ました。初めて聞く種類で、当時は珍しく、どこ探しても居ないよ!と言っていました。手足が太く、深谷ねぎみたいで丈夫そうだ、この子にしようか、と翌日ウチの犬2名リリアン🐕とモモコ🐶を連れていくと問題なさそうだったので、連れて帰ってきました。ウチの都合で来てもらった子なのに、さとちゃんじゃないことが悔しくて、その子が入ってる籠をグルグル振り回してしまいました、とんでもない私です。そのせいか、何日間が凶暴に見え、振り回したことを詫びて、母ちゃんが良い子にしてあげるね、いや、思い上がり、仲良くしてね♪なんて勝手なことを言って、麻花瑠😻との生活が始まったのです。
嫌がるのでケージには入れずソファーの脚に紐を結わいていましたが利口で、紐に絡まることなく上手にやっていました。朝だけ放してやると、一目散に2階にかけ上がり、納得したら降りてきて繋がれることを嫌がりませんでした。2日くらいで犬たち🐕🐶とも慣れて、繋ぐのは止めました。
麻花瑠😻はよく、リリアン🐕の尻尾を玩具にして遊んでいました。たまに咬まれても怒らない優しい犬🐕
大五郎🐶を昔の犬たちと比べてはいけないんですよね、反省しています。大五郎🐶の7年間をこれから取り戻さなきゃ。
麻花瑠😻はリリアン🐕の散歩の時、「まふぁも行く~」と行って玄関の扉をカシャカシャするようになったので、胴輪を着けて一緒に散歩に出かけました🐾🎵
そのリリアン🐕がおねんねした後に来たのが大五郎🐶です。ゴールデン🐕を探していたのに、ペットショップで出会ってしまったのです。
麻花瑠😻は大五郎🐶と散歩に行くようになりました。が、50mの道のりを一時間くらいかけて帰ってくることもあって、ちょっと大変でした。ぺちゃ~っと寛いで、動かずにいるのを大五郎🐶は付き合いました。ただし、春と秋ですが。
ずっとシャムmixを探して、あっ、この子!と思う子を見付けては里親に応募していましたが縁がなく、ウチには来てもらえませんでした。
それで、シャムの福ちゃん😸にウチの子になってもらったのです。3年前の話です。
麻花瑠😻が3月18日に7歳になった時、近所のM病院から独立したi先生の所で健康診断をしました。
電話で聞いた金額より高かったのですが、ケチなこと言ってはいけないか、と思い言われた金額を払いました。ところが、「暴れて無理だった!」と超音波はやっていませんでした。
心音が気になるからと、心臓の専門の先生が来たとき、別料金で診てもらいました。平気な顔で「超音波はやらない!」と言い切り、金額はそのままでした。暴れるから出来ないんだから、セット料金から返金はするわけないでしょ!っていうことね。数日後の尿検査でストルバイトが出て、療法食となりました。
ちょっとした行き違いがあって、春からはまた近所のM病院に戻りました。週一の尿検査、良い状態が続くと大好きなr/dも許可されました(ルビィ😸が食べてる)。
かなり長いこと続いてた下痢もよくなり、やれやれと思っていたら突発性膀胱炎!病院でしか売ってない高いCLTしか食べてはダメ!になりました。大好きなマタタビ粉も歯磨きガムも禁止されました。そのうち良い状態になると、CLTと普通食のエイジングの二種類が許されました。かくれ甘えん坊だったはずが、すっかり甘えん坊になり、しょっちゅう「ごはん!」と私をつつくようになり、そのたびに小皿に入れて、持ってきてあげていました。7.6kgで太りすぎだ!痩せろ!と言われてたので沢山はあげられず、何粒かずつあげていたのです。ただ、食べてるうちが華だよな、と思っていたから、結局おまけしていましたけど。
でも段々食べる量も体重も減ってきました。適正体重ということで納得しました。
麻花瑠😻は本格的甘えん坊になり、パソコンの前に居ると、「母ちゃん母ちゃん、まったりしよう💕」と手でツンツンするのでした、そして必ず私の左脚に頭の右側をペチャ~っとつけてゴロンするのです。「めめくしょ点検しまーす!鼻くしょ点検しまーす!」と言って、よく取りました。そして、ほっぺぷっぷ💕と指でつんつんするまでがセットでした。これを一日に5回も6回もするのです。
今年2月19日、麻花瑠😻私の右手首近くをガブッと噛みつきました。これまでもいきなりガプッって可愛く咬むことがあって、油断出来ないなあ、ということはありましたが、その日はなかなか血が止まりませんでした。しっかり歯形が残りました。
3月11日、朝 私と麻花瑠😻と二人で5時に散歩に出掛け、シャッシャカ楽しそうに歩いて来たのです♪そして5時半にご飯を食べて2階に上がったら、、、
夫が「麻花瑠😻が変だ!」と大声をあげたのです。大五郎🐶と福ちゃん😻が奇妙な声をあげて、麻花瑠が倒れたことを知らせたようです。夫に抱き抱えられた麻花瑠😻は美しいグリーンゴールドの目を開けたまま、息をしていませんでした。
夜間診療の病院は5時までだし、あのi先生を今さら呼んだところで…
どうしようもありませんでした。
i先生は、リリアン🐕の往診に来てくれたこともあったし、麻花瑠😻が唯一爪を立ったまま切らせる先生でもあったし、本当は優しい先生だったのですが…
ウチのすぐ近くに住んでる友だちに電話すると、お花を持ってきてくれました。
麻花瑠😻は福ちゃん😸の良いお兄ちゃんでした。私は見たことないのですが、福ちゃん😸が近づくと、カーテン越しに投げ飛ばしていたとか。怪我しないように気を付けながら、過激な遊びをしていたんですね。
麻花瑠😻はその日の夕方、小さくなりました。i先生に、麻花瑠😻はi先生が大好きだった、病院を変えて今さら言っても仕方ないけど、と手紙を書きました。当たり前に返事がないことを承知の上で。
私は毎日まいにち麻花瑠😻似の子を探しましたが、なかなか見付かりませんでした。
これはボケてはいますが、私のいちばん好きな写真です😻😸
皆んなの目には見えなくても、いつも「居る」で生きてるとはいえ、また7kg以上の重さの麻花瑠😻を抱っこしてくるくる回りたくて、ネットでクマさんを買ったのです。映画のデッドが大好きで、その子をテンドンと名付け、いつも一緒に居ました。
5月にルビィ😺がウチに来る話は、コロナで飛行機が飛ばないことで予定が立たなくなりました。麻花瑠😻似の子が見付かるのと、ルビィ😺が来るのと どっちが早いだろう、と話していた時、保護主さんの代わりに里親さま募集を載せることとなり、複雑な思いでした。
そして、ついに、容姿も誕生日までもが麻花瑠😻と一緒のノルウェージャンが見付かったのでした。
麻花瑠😻が赤ちゃんになって戻ってきた、と信じました。あと一週間で9歳になる麻花瑠😻が0歳からのやり直しです。ただ、100%はあり得ず、目の色がグリーンゴールドではないのです。そして、人懐っこくて物凄く良い子で、なんかチョット変わったなあ、と思うのも楽しんでいます。
右手首ちかくの咬みあとは、段々薄くなってきています。はじめは早く治らないかなあと思っていたのに、今となっては私の命が終わるまで消えないで欲しい!という思いが強くなっています。ただ、キレイに咬み跡が消えた時、8月3日に帰ってきてくれた皆んなに見える麻花瑠😻と9歳の麻花瑠😻はヒトリになるのかも、なんて人様が聞いたら呆れるであろうことを真剣に思っているのです。私は心が強くなくて。
ほんとに自分の日記です。人様が知りたいと思うような内容は何一つ無い、長すぎる文をお読みくださった方に深く感謝を申し上げます。有り難うございました😊🍀
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