当時、私はサークルとクラブを掛け持ちしていて、
サークルは軽音楽部のようなところ、
クラブは文芸部というところに所属していた。
その頃は、モノを書いたりすることが好きで、
それにメロディをつけると歌詞になる。
だから、私としては同じ根源で、
アウトプットが少しだけ違う。
そんな程度の認識だった。
文芸部では、卒業作品集を作る。
私は存外多作だったので、部員共同のものとは別に、
個人作品集を発行していた。

それはもう失くして久しいのだけれど、
その一編に私は「将来は、たくさんの猫と住んでいる」
といったことを書いていた。
実家では、親父が動物好きで、まるで小さな動物園のよう。
やたらめったら動物たちが身近にいた。
そんな親父のことを、呆れながらも大好きだった私は、
いつしか「このひとと同じようなジンセイを歩むんだろう」なんて、
そんなことをイメージしていたのだろう。

それから25年経過し、
我が家には猫族5にん、狸猫1にん、犬が1にんと大所帯になった。
まるで「よげんのしょ」みたいだなと苦笑する。
ジンセイは思ったとおりにしか動かないのかもしれない。

自分だけのジンセイじゃない。
それはそれで、様々な悲しいことや辛いことを引き連れる。
叶わない夢も、残酷な現実も、
歯噛みするような悔しさも。
それでもいまの毎日は、当時の私が想像した以上にシアワセだ。
ヌプルとサンポしながら、朝日を眺め満天の星の下を歩く。
猫族は、夜、私の布団に集まって、私から身体を離すことがない。
姐さん(狸猫)はそう、細い目で私をみつめ、撫でるとすぐにころころ言う。
遠い日の散らばった夢は、星になって頭上にあった。
無くしたと俯いていたよ、
長い間ずっと。
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