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崩れた山は、あちらこちらで交通を寸断していたため、空からの物資輸送は水や食料、派遣部隊の隊員や警察官、そして消防などの人員などなど、明るくなると同時に物資を満載して離陸して被災地域に飛んでいくという任務でしたが、中には土砂に埋まり救い出された被災者の方を緊急に運ぶという事もありました。
陽が落ちるまで何度も往復しては、給油し整備し、物資を積み、そして現地で降ろしてという作業は、若い元気な下士官の私にも、さすがに堪えるものでした。
疲労困憊のある日、とある村まで食料を積んで飛んでいった時の話です。
村役場の横の小学校に着陸して、カップ麺や水を体育館まで運んでいたら、見ていた村のお婆ちゃんが風呂敷にトマトやキュウリを包んだものを私に渡そうと近づいてきて、こう言いました。
『兵隊さん、本当によく来てくれた、ありがとう、ありがとう』
こちらには食料は沢山あるのでお婆ちゃん、私達は要らないから被災者で食べてねと、包みを返そうとしましたが、頑なに受け取ってくれません。
そして、お婆ちゃんの目には涙がいっぱいだったのです。
『野菜は無かろう、兵隊さん。どうぞ皆さんで食べて下さい』
機長が帰投の合図を送ってきたので、やむなく頂いてヘリに戻りました。復路の機内では、軍用機にはまったくそぐわない色の風呂敷を抱えた私の話で、インカムが盛り上がります。
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『お前が支援されてどうするんや?(笑)』
『だって、兵隊さんありがとう!って涙ながらに渡されたら返せなかったんですよ』
『兵隊さんてwww』
『お婆ちゃんの世代は、まだ兵隊さんなんだなww』
お婆ちゃんの優しい気遣いと、かけてくれた『ありがとう』の言葉に頑張ることが出来ました。あの時はちゃんと御礼も言えなかったけど、お婆ちゃんありがとうございました。次の日のクルーの朝食に、お婆ちゃんの畑に成っていただろう不揃いだけど、とても新鮮な野菜が戦闘糧食の缶飯の横に並びました。
自衛隊時代の思い出でした。最後までお読み頂き感謝です。
今日からラジカット点滴治療の4回目(期間10日間)が再び始まりました。そのお陰でこうやってキーボード入力が出来ている感じです。まだまだ頑張ります!
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