教鞭を執っていて強く思うのは、教えることそのものよりも難しい、あるひとつの壁がある。
それは、興味の扉をノックし、開くことだ。
世の中には知識が繁茂し、望めばいくらでも手に入る。
自分が興味のある事に直接的に紐付いているものは、わざわざ教えなくても必死で調べるし、勝手に憶えてしまうものだ。
仕事に関連するものや利益に関係するものなら、なおさら、とんでもない能力を発揮するものだ。
だがしかし、そのベースになるような基礎知識については高校くらいまでに習ってくるはずが、疎かなことが多い。
興味のあるものに間接的に紐付いている知識については、重要性が理解できず、興味の扉が開かないのだ。
この扉というのは地獄の門より厄介である。
話をひと通り聞いていてもうろ覚えだし、ちんぷんかんぷんのまま相槌だけうつ状態になるし、何より、面倒臭さが際立って拒否反応を示してしまうものなのだ。
つまり、無理矢理にこじ開けてもまるで無理。
テスト等で植え付けようとした所で、一夜漬けで終わってしまい、しばらくしたらろくに憶えていない。
ところが、あとになって自分が必要な事柄の重要知識だと解ると、なんでもっときちんと教えてくれないんだとか平気でうそぶいたりする。
そのくせ、それぞれが興味のある分野に関しては、教えてもいないのに異常な知識量だったりするものなのだ。
それ故、何かを教える際に注意しているのは、将来、どういった状況で活用される可能性のある知識であるか、具体的にイメージしやすい形で投げかけるようにしている。
それでも、あんまり興味ないからやらない〜・必要ないだろうからやらないと勝手に判断して、歯抜けの知識を形にしてしまうのだ。
そもそも論で言えば、先達の経験や知識をそのまま移植できれば苦労はないが、それが出来ないから、教訓や学びとして存在する。
逆に、我々が今の年寄の知識のまま、若い肉体と活力になったら、もっとずっと良い結果を生み出す自身があるというのは、一定以上の年の方ならみなさん、ご賛同いただけるはずだ。
運もあるからなんとも言えんが、少なくとも過去の苦い思い出みたいな失敗はしないはずだ。
つまり、今いる方々が先達の教えというものを素直に受け入れて基礎となし、その上に自分らで大きなものを建てていただければよい。
世代間を超えて大きな物事をなし得るという、人類チームプレイとしての結果、がより花開くという形だ。
学問というのは、そのような発想で知識を継承していくものだ。
だがしかし、なぜか、目の前の利益に拘泥し、自分だけは失敗しないと根拠なく思い込み、軽挙妄動の結果、それ見たことかと言うように同じ轍を踏む。
特に昨今、自己利益にのみ異常に執着し、結果的に自己利益を減らすような輩は少なくないし、何かあっても悪びれず、法に触れたわけじゃないとうそぶくクズも多い。
現実的に言えば、モラルやマナーと言ったものが崩壊し、社会問題になるような事態になると立法し、法律となって罰則等も付く。
それが法に書いてないと開き直る段階で矛盾をきたしているのだ。
なぜなら、民主主義は自由闊達な活動を重視する反面、他人に迷惑をかけないようにマナーやモラルを尊び、法を重んじるという仕組みだからだ。
己の身勝手な自由を謳歌した結果、社会や他人に迷惑をかけているなら、それは社会で許容できない入り口に立つのである。
世の中には多種多様な物事があり、それらに携わる方々が精を出し、社会が構成される。
チームプレイとして社会の循環を成しているのだ。
自分が全く興味のない分野であったとしても一定の尊重を行い、聞いたことがない事ならきちんと最新知識に更新する柔軟さが、社会を構成する人に求められる姿勢だ。
どうにも、こういった最低限のことすらまともに出来てないものが散見されるのは、嘆かわしい。
もうすぐ終戦の日を逢えるが、不幸にして命を散らした先達とて、後世のそんな退廃を望んでいたわけではあるまい。
教える側の問題なのか、教えられる側の問題なのか、はたまた、社会の問題なのか、根は深い。
先日、こんな話があった。
↓↓↓↓
にゃんでもQ&A 周囲が猫に危険なものを理解してくれません。
https://www.neko-jirushi.com/ask/7062/
ペットの常識の周囲との齟齬について、いたく思い悩む質問だ。
このような事例というのは、昔から少なくない。
例えば、上記にあるようなペットの食べていいもの・悪いものの知識。
Q&Aでの返答と重複するんだが、ご勘弁願いたい。
下手すれば頓死するんだが、自分が食べているものを平気で分け与えようとしたりする。
犬はとにかく欲しがるが、猫は好きな飼い主が食っているものに興味を示すようだ。
しかし、人間がOKでも毒物になるものもある。
↓↓↓↓
猫が食べてはいけないもの一覧
https://nekochan.jp/food/article/408
以下、抜粋
少量でも食べると危険なもの
玉ねぎ
ネギ
ニラ
らっきょう
ナス
チョコレート
コーヒー
紅茶
お酒
貝
ぶどう・マスカット
レーズン
アボカド
ナッツ類
くるみ
キシリトール
スパイス
魚の骨
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注意すべきなのは、これらの危険性に個体差、体重差があることだ。
体重差:体重数キロ前後の猫では人間の数十分の1の量でかなり危険があるという事実。
チョコレートなど、小さいものひとつで頓死してしまったりする。
症状はアレルギーの発症と似たような状態になり、僅かな時間で死に至る。
ネギ類でも摂取量によるが、かなりふらついたりする。
イカなどでは、昔は腰が抜けるなんていい方をしたんだが、かなり具合が悪くなるので、つまみのいかくんとかを食わせてはいけないのだ。
上記で魚の骨とあるが、鶏の骨もダメだ。
ところが、これが全く平気な個体がいるからややこしい。
昔うちで飼っていた犬(コーギー♀)は、同じく飼っていた雑種の茶トラ猫を子分にし、手の届かない所にしまってあるものを持ってこさせるという荒業師だった。
そして、しまっておいたビットチョコを筆者留守中に食べ尽くしていたのだ。
帰宅して青ざめた筆者だが、いつもどおり、他の犬がやったことに見せかけてしらばっくれていた。
しかし、ウンコがまるっとチョコレートで、臭いがそのコーギーのそれだったから即バレ。
幸いにも他の犬3匹は口にしてなかったんだが、そのコーギーの命運たるや風前の灯だ。
そもそもうんこが出るほどの時間が経っているので、通常なら手遅れなんだが、なぜかピンピンしてる。
その後、しばらく様子を見るも、いつもどおりで平然としていたのだ。
まさに飼っていた犬で、全然平気なのがいてびっくりだった事例だ。
ほぼ似たような時期に友達のミニチュアダックスがチョコの誤食で30分程度の時間であっけなく天に召された事を考えると、驚きを禁じえない。
つまり、こっちでOKでもあっちでNGがあり得るというややこしさなのである。
生き死にがかかるので、基本はNG、OKだったのは例外だと思っておくべき事例だ。
で、Q&Aでは質問者さんの家族などがそんな話は聞いたことがないとか昔はそんな事言わなかった的な話が出ている。
これもポイントで、昔はそういったものをペットに与えるような習慣もなかったし、頓死しても、なんか死んじゃったーで終わりにしていただけだ。
そう、犬猫の命が極めて軽かったのだ。
今でも、命の重さというのを全く理解できない人間というのが実在するし、先日もそんな例があった。
このあたりは教えて云々というレベルの話じゃないので、しっかり罰則化すべき問題だろう。
同様に、里親保護なんかでもひどい話が多かったり、保護主さんたちがシビアに対応される話も先日取り上げた。
これらもマナーがまるでなってない嘘つき共が闊歩するからに他ならない。
平気でマルチポストしたり(マルチポスト=同じようなネタをアチラコチラに撒き散らすこと)、重複申し込みをしてドタキャンするなど、枚挙にいとまがない不埒な悪行三昧だ。
どうして自分本意な考え方で、相手側のことを全く配慮できないのか、いささかも理解できない。
しかし、実在するのである。
こうなってくると、価値観とか理解力のズレと言って良いのかどうか、謎ですらある。
命の重さなんて実際には測れないものだが、譲れないものだ。
そんなことすら共有できない人々って、どうしたらよいやら。
マナーやモラルに関しても、ローカル度というようなくくりの話じゃない。
これを理解できない人々に理解させるのは、本当に難しい話なのだ。
現代に於いてもなお、人間ですら差別が止まないくらいだから、ペットともなると壁は高い。
何しろ、飼っちゃってから理解する人もいれば、飼ってからもペットに酷いことを出来る人は跡を絶たないのである。
筆者的には、最善の策は法整備一択だと思っている。
妙にカッコつけた顔のルシア
しばしばこんな状態だが、筆者がやらせているわけじゃない。
お気に入りの豚毛ブラシ。
毛を梳かすと言うより、ゴシゴシして毛艶を出す系のブラシ。
終わってコレ。
だいぶご満悦のようだ。
ソフィアはと言うと、玄関でドデーンと寝て、いつもの絵面だった。
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