恐縮ですが、ここへお立ち寄りいただいた皆様には、私の心のつぶやきにお付き合いいただけたら嬉しく思います🙇
長文ですので、スルーしていただいても構いません。
ずっと胸の奥深くにしまい込んでいた事があるのです。今日はその思いを綴ります。
共に暮らすペットの存在
ペット以上の存在 家族の一員として🐾💕
私の愛しい愛しいクロ(KURO)
今は亡きクロが通院をしていた頃のお話しです。
当時、私は「餌」という言葉を何気に使っていました(🙇)。病院で餌の選び方(当時の表現のまま書かせてもらっています。)について尋ねたことがありました。
その時、先生が『あぁ、猫さん用のごはんなら...』と。
あっ “ごはん”…
さりげなく使われたその言葉に、はっとしました。
そうなんだよね… “ごはん”だよね…
「餌」ではなく「ごはん」なんだよね…
この時初めて、「餌」と言ってしまったことを後悔しました。
言い訳にしかなりませんが、「餌」という言葉を使ってはいても、その子達の愛情に差があるのかと問われれば、それはありません。当時も今と変わらない愛情を持って過ごしておりました。
ペットも家の中で共に暮らす時代、人と動物の違いはあっても人と同等の立場で扱われていることに気づかされました。こうした一つひとつの経験を通して、今の自分に至っています😌
そして今、一緒に暮らすコスモスも。
首輪がたすき掛けに食い込んで保護されたコスモスは、譲渡の日も傷が治らず病院での引き渡しとなりました。
その時、先生が仰った言葉…
『これからは、この子のお母さんですから...』
“お母さん”?…
あぁ… そうかぁー
私が “お母さん” …
てっきり「飼い主さん」と呼ばれるとばかり思っていた私は、咄嗟に「お母さん」と言われて“はっ”としたものです。
この子のお母さん 私が…
お母さんという響きはとても新鮮でした。
ペットは もはや家族同然…
だから、飼い主さんではなく
お父さん お母さん…
だから、餌ではなく ごはん…
この世に生きている限り、命の尊さは人も動物も同じなんですよね。この経験を通して、私は動物に対しても飼い主とペットという関係ではないそれ以上の関係、そして改めて動物に対する尊厳の意識が芽生えたのを覚えています。
だから私は、「猫」と呼び捨てにはしません。
“猫さん” “猫ちゃん”と呼びます。
ささやかですが、そんな気持ちを持って接しています。
😢拾った子 拾われた子…
コスモスの目には少し癒着があります。その事で専門医がいる病院へ紹介されたことがありました。コスモスが私の家族になって一年を迎えようとした頃のお話しです。
紹介された病院で、突然先生が
「この子いつ拾ったの?」と…
えっ?
「拾ったのはいつ?」
…
最初、何を聞かれているのか分かりませんでした。
ショックでした。悲しかったです。本当に😢
先生の発した心ない言葉に、絶句でした…
あの子が不憫でなりませんでした😢😢😢
保護当時、コスモスは首輪を付けていたので飼い猫と思われました。けれど避妊はされておらず、迷い猫の届け出もされていませんでした。だから、里親様が見つからなければリリースされる予定で耳カットが施されていました。
だからなのかな。先生はその耳を見て、この子がお外暮らしの時にかかったネコ風邪のせいで癒着したものと診断したようです😢
この子の目は、家族に迎えた当時は大きく見開かれてビー玉のように澄んだ綺麗な目をしていました。目に異変が現れたのは、私の家へ来てからのこと。食い込んだ首輪の後遺症でその箇所に皮膚アレルギーが出たため、そこへ塗り続けた薬が原因。グルーミングで薬が目に入ったがための癒着でした…
もし、コスモスの耳に耳カットがされていなかったなら、どんな診断だったのだろうか…
もし、コスモスが血統書付の猫さんだったなら、先生は何て尋ねたんだろうか…
「この子、いつ買ったの?」だろうか…
仮にもあなたは命を扱う獣医師
命は物じゃない…
拾った?
どうしたらそんな言葉が出てくるの…
抗議したかったです😢
本当に悔しくて悲しくて、今でもあの時のことを忘れることができません。
🌸さくらねこ 🌸さくら耳
それは殺処分を逃れ、お外で懸命に生きる覚悟の証☘️
繰り返される悲劇…
前置きをしておきますが、決して全ての獣医師、動物看護師の皆さんがそうだと言うことではありません。立派に尽力していただいている病院もある、そのことには感謝しています🙇コスモス達が通う病院はとても良心的で感じの良い病院なので、とても人気があります。スタッフの方も多く診察時も介助が行き届いているので安心して診ていただけます。
それでも悲劇は繰り返されます。
神無月(カンナ)を保護した日
その当時の看護師さんから
「いつ拾われましたか?」と…
そして真命(まこと)の時も…
瀕死の状態で頑張っている真命を目の前に
「何時頃、拾われましたか?」と…
不運にも繰り返される「拾った」という言葉…
残念でなりません。悲しいです。この子らを思うと心痛みました😢
何で…
どうして…
お外出身の子だから?
無意識に発せられた言葉だからこそ傷つきました。
お外の子には、誰にでも心の片隅に差別意識が潜在するのだろうか…
信頼していた病院でさえも、〈お外の子〉と区別されている現実を突きつけられたようで悲しかったです…😢
なぜ『保護されたのはいつですか?』と聞けないのだろうか…。
これは、飼い主への配慮に欠けた言葉だと思います。
命を救う人々から、物扱いするような言葉は聞きたくありません。
配慮のない言葉…
【貰った、拾った】ではなく、
【家族に迎えた、保護した】と、なぜ言葉にしてもらえないのかと悔しく思います😢
是非ともお願いしたいこと。病院で働く上では、そうした最低限度の言葉づかいや気配り教育は徹底してもらいたい、切に願います。
時々、このネコジの日記の中でも「この子は拾った子、貰った子です。」と目にすることがあります。そんなつもりで書いているのではないのでしょうが、こうした表現は悲しいです。飼い主の皆さんにも是非その子への尊厳を大切にしていただきたいと願います。
病院の飼い主への寄り添い方…
クロは病院で亡くなりました。待合室で亡くなったばかりの我が子を前に、動揺もあった私。悲しみに暮れる私の心を救ってくれたのは、その時の病院の対応でした。亡骸の処置を施し、診察室に呼ばれて私が最初に見たもの、それは永遠に目を覚ますことのないクロの傍らに椿の花が添えられていたことでした。
庭に咲いていた花が椿しかなくて… と
先生が添えてくれたものでした。心が救われる思いでした。
そして、先生とスタッフの方々が深々と頭を下げ、駐車場を出る最後までクロを見送っていただいたことでした。
本当に有り難かったです。クロを人と同じように扱っていだだいたこと、何よりも嬉しく思いました。
昨年『うらら』が怪我をし、それ以来お世話になっている病院でも、同じような光景を見たことがあります。土曜日ということもあって混雑していた中でも、この病院ではきちんとお見送りをされるのだなと…
ただ、コスモス達が通う病院ではありません。真命(まこと)の時もお見送りはなかったですし、以前にも亡くなったんだなという子がいた時も、看護師さんが車まで荷物のお手伝いをするだけでお見送りはありませんでした…
どちらが正しいのかと比較するつもりはありません。ただ、病院の対応にこんなにも差があるのものなのかと思うと、とても複雑です。何だか寂しい気がします。
ずっと、心の奥にしまっていたこと…
長く生き物と暮らしていると、病院とのお付き合いも深まります。でもお付き合いが深まれば深まるほど、これまで気づかないでいたことにも気づいてしまう、疑問に思ってしまうこといろいろと出てくるものです。
だから、つぶやいてみたくなりました😌
今日この日記を読んで、もし不愉快な思いをされた方がいらっしゃいましたら謝ります。申し訳ありません🙇
本日もそっと寄り添ってくれる愛猫コスモスに感謝🐾
そしてお空の上から見守ってくれているクロ(KURO)、ピーコちゃん、真命(まこと)へ感謝☘️
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