去年全く手をつけてない猫トイレ部屋の収納から。
タンスの引き出し開けたら昔の写真が❗️
開始早々手が止まる。
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父と私。
父は39歳。
私は3歳。
七五三で浅草寺に行った写真。
靴職人で麻雀競輪競馬が大好き、ガチなギャンブラーだ。
この頃から小学校低学年ぐらいまで、毎週日曜日は父と一緒に浅草の場外に出かけていた。
場外で馬券を買い、お昼にチャーシュー麺を食べ、競馬放送をしている喫茶店でクリームソーダを飲むのが楽しみだった。
喫茶店を出て父が働いていた仕事場へ移動する。
休日なのになぜかおじさんがたくさん。
メインレースはここに集合するのがなんとなくの決まりらしい。
私はおじさん達に遊んでもらったり、本を読んだりして過ごす。
ビールガブガブタバコスパスパのおじさん達は、勝ったの負けたの大騒ぎだ。
父の勝ち負けによって夕飯はうなぎだったり、天丼だったり、トンカツだったり、お好み焼きだったり。
父はお酒を飲まないので夕飯食べたらさくっと埼玉に帰る。
今思えばとんでもない父親だけど、私はとても楽しかった。
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またまた父と私。
父は50歳。私は中学2年生。
顔も身体もパンパンな私。
一応バドミントン部だけど運動大嫌いな補欠部員。
父が抱っこしているのがミミチ。
私が抱っこしているのがポテ。
前の家で野良ママが連れてきた兄弟なので3歳ぐらいかな。
ポテがケガしたことをきっかけに2匹とも去勢したけれど、ずっと内外飼い。
はっきり覚えてないけれど10年位いたと思う。
ポテがいなくなり、ほどなくミミチも帰らなくなった。
死期を悟ると姿を消すのが猫だと信じていた当時の父と私。
無知は罪なのです。
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良いアジが手に入ったのでなめろうを作る。
父は千葉県勝浦市漁師町の出身。
魚の扱い方は全て父から教わった。
3枚に下ろしざっと切ってから細かくたたく。
薬味はネギショウガシソ。
ポイントは味噌の量。
ティースプーン1杯程度が適量。
なめろうを作る度に、
「おまえが作ると味噌が強すぎる」
と注意されたことを思い出します。
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生青魚嫌いな夫にはピーマンの肉詰めを。
横に切ったジャンボピーマンにハンバーグだねを詰めてフライパンで両面焼いてから、ミートソースとチーズをのせてオーブントースターで焼く。
ピーマンも柔らかくなっていい感じです。
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「おまえが作ると味噌が強すぎる」と注意されていた、ちょっとダサめなイケイケ時代。(恥ずかしいのでモノクロ加工)
パンパン顔の中学生は、特殊メイクとダイエットでこんな仕上がりに。
門限を過ぎて、二重鍵をかけられて、家に入れてくれなかった父への仕返しが、無意識な味噌強めのなめろうだったのかもしれないとふと思う。
晩年、認知症になり嗜好が変化した父の大好物は、ホットドッグだったり、マカロニグラタンだったりと洋食系に変わっていった。
ホットドッグは1口サイズにカットしたソーセージを1列にパンにはさむ。
マカロニグラタンはバターを控え、豆乳と牛乳を半々のホワイトソース。
父が食べやすいようにと作っていた2品は今では我が家の定番で夫の大好物となった。
よーし❗️日曜日の朝食は残ったミートソースで久しぶりにホットドッグを作ろう‼️
昔を懐かしみ、片付けは止まったまま。あるあるだ。
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