ブッコさんがいなくなって、世界から色が失われたようだよ。何もかも白く、霞がかって見える。

それは、ただ単にコンタクトレンズが汚れているだけニャ。
外して洗えば、きれいになるニャ!
あ、本当だ!
さすがブッコさんだね!
世話の焼ける飼い主だニャ。
と、馬鹿話はさておき。
5年ぶりに、猫のいない生活を送っています。
5年。長かったのか、短かったのか。
猫の寿命が20年前後と考えると、それは短かったかもしれません。だけどダブルキャリアとしては、長かったのかな?
どちらにせよ、私にとっては、とても幸せな5年間でした。
ブッコさんが亡くなった日、私はブッコさんに手向けるための花を買いに出かけました。
帰ってきて玄関の戸を開けると、中の脱走防止扉が開けっ放しになっていて。
思わず「ちょっと!」と怒声を上げそうになり、その後、「ああ、そうか。もういいんだ。」と気付き、胸が苦しくなりました。
今は扉は外され、出入りは楽になったけど、見通しの良くなった眺めに淋しさを感じます。
ブッコさんは、よく浴室の床を舐めて、水を飲んでいました。お風呂から上がる時に、ざっとシャワーで床を流しているとはいえ、やっぱり垢や石鹸カスが残っている気がして、「そこ舐めるの止めて~」と言っていたら、誰かが植木鉢の水受け皿を置いてくれました。
それでも時々、床を舐めていましたが。
私はお風呂に入る時にその皿の水を捨て、上がる時に新しく水を汲むのが日課になっていました。
ブッコさんが亡くなった日の晩、お風呂に入ろうとしていつものようにその皿の水を捨て、そして、もう新しく水を汲む事はないんだ、と涙ぐみました。
その皿はもう片付けられてしまったけど、今でもお風呂に入る時に思わず目をやり、何も置かれていない床を見てため息をついてしまいます。

台所のシンクには、食器を洗うために水を張ったボウルが置いてありますが、ブッコさんはそのボウルの水もよく飲んでいました。食事の終わった食器が水に浸けられている時もあり、その水を飲むのはちょっと、と思っていたら、母が使っていない湯飲み茶碗を置いてくれました。
ブッコさんはその茶碗で汲みたての水を飲むのが好きでした。ブッコさんの目の前で水道から水を汲み、それをブッコさんの口のところまで持っていくと、美味しそうに、ピチャピチャと音を立てて飲んでいました。
ゴクゴクと水を飲む度に、茶碗を持つ手にブッコさんのヒゲや頬が当たって、その感触も好きでした。
ボウルがシンクに置かれていない時には、ブッコさんがシンクに入って茶碗の水を飲んでいることもありました。
湯飲み茶碗はまだ置いてありますが、邪魔にならない所に押しやられ、それを見ると切ない感じがします。
ブッコさんは仏間のお供えの水を飲むのも好きでした。
さすがにお供えの水を飲むのはまずいでしょう、と同じような大きさのグラスを置いてみました。
最初はそのグラスの水を飲んでくれましたが、すぐにお供えの水を飲むようになってしまいました。
同じ水道水なのに、お供えの水の方が美味しかったのかな?
どうやってもお供えの水を飲むのを止めず、結局父が水をお供えするのを止めてしまいました。
ブッコさん用のグラスはそのまま置き続けていましたが、なぜか仏間では水を飲まなくなりました。
水を飲まなくなったので、私もそのグラスの水を取り替えるのをよく忘れるようになりました。そしたら、取り替えるのを忘れた時に限って、そのグラスの水を飲むようになったのです。
台所では汲みたての水が好きだったのに。
不思議なブッコさんでした。
そのグラスは、今はブッコさんからの御下がりとして、私が使っています。

この日は檸檬堂のレモンサワー。
ブッコさんが亡くなって数日は、ひとりでに涙が浮かんで来て、冒頭のやり取りのようにコンタクトレンズが汚れて、視界が白く濁っていました。
今では気持ちも落ち着いてきましたが、それでも時には、悲しみなんて感じていなかったのに、それどころかむしろ楽しい気持ちでいたのに、突然、涙が溢れてきてしまうことがあります。
仕事から帰った時、いつもお出迎えしてくれていたブッコさん。最期の頃は体がしんどかったのでしょう、お出迎えはなかったけど、コタツの中で待っていてくれたブッコさん。
その存在がない朝は、号泣してしまう日もあります。
山崎まさよしの「one more time,one more chance」が頭の中で聞こえてきます。
♪いつでも探しているよ どっかに君の姿を
コタツの中に、仏間の窓に
そんなとこにいるはずもないのに
家でなら、そんな時は気持ちのままに泣いてもいいし、何か気を紛らわすようなことをしてもいいですが、仕事中だと辛いです。
私の仕事は単純作業なので、慣れてしまえば集中力など必要ない。だから仕事中にふとブッコさんの事を考える時があって、そうすると涙が溢れて来る事があります。でも仕事中だから、泣く訳にも何か他の事をする訳にもいかない。
必死に涙を堪え、仕事を続けるしかありません。
何度めかのそんな時に、ふいに頭の中に聞こえてきた歌がありました。
柴咲コウの「かたちあるもの」
♪もしもあなたが寂しい時に
ただ傍にいることさえできないけど
失くす痛みを知ったあなたは
他の愛を掴める そう祈っている
ただの偶然なんでしょうが。
この歌は年若くして亡くなった私の友人が、遺言の代わりとして子どもたちに遺したものでもあり、その記憶が無意識のうちに連想させただけだと思いますが。
なんだかブッコさんからのメッセージのような気がして、また泣きそうになってしまいました。
今年最後のバラ。

上から時計回りに、プリンセスアイコ、デズデモーナ、ガブリエル。
今年は足の怪我もあり、水やりと追肥しかしていません。液肥とか活力剤とか、全くやっていません。薬剤散布もしていません。
だから、黒星病で葉を落としたりもしていますが、枝の色は赤く、充実しているようです。
さすがバラ。強いですね~!

ブコナツを最後のバラで飾ります。
最近のコメント