「思う」と「考える」。
どう違うのでしょうか?
私は現役時代、マーケティングの仕事をしていました。
我々クライアントは広告代理店に対して、「真剣に」ブリーフィングをします。
彼等は命を削って「真剣に」プレゼンテーションをします。
代理店側から、たいがい3案以上の提案があります。
広告代理店とのミーティングは真剣勝負です。
頂いた提案に対して。。。クライアントである我々は瞬時にフィードバックをしなくてはなりません。
●まず「思う」(どのプランが、好きか?嫌いか?、良いか?悪いか?)
●そして「考える」(なぜ、そのプランを選んだのか?)
「思う」は直感的、「考える」は論理的です。クライアントは瞬間的にこの二つをその場でフィードバックしなくてはなりません。
「なんとなく」これが良い、はありえません。
じゃないと我々はクリエーターになめられてしまいます。なめられたら、次から手抜きをされちゃいますから。
これは訓練しかありません。
普段の生活からこの訓練をしなくては身に付かないのです。
●なぜ私はそのシャツを着るのか?
●なせ今日のランチはこの店なのか?
選択した私は「なぜならば」と言う理由を常に考えます。
いくつかの選択肢の中からそれを選んだ理由を私は必死に考えます。
以前、私は父が苦手であると言いましたが、父にはそれがありませんでした。
●裸でなければ服装は何でも良い。
●お腹がいっぱいになれば食事は何でも良い。
父のこう言った考え方を見聞きするのが辛かったんです。
多くのネコちゃんの中からクロノスとマーベルが我が家に来たのは私の思考の結果です。
●クロノスとマーベルが好き❗ クロノスとマーベルが良い‼️、と直感で「思い」ました。
●「なぜならば」私はクロノスとマーベルの、ここが「好き」だから、ここが「良い」からだと「考え」たからです。
何を言いたいかと言うと、私は「なんとなくクロノス」「なんとなくマーベル」ではなく、「絶対にクロノス」「絶対にマーベル」が言いたかったんです。
皆さんもそうだと思うのです。ネコバカです。
🤗😸😻
ネコも思考する。
親父さん、ボク、初めて親父さんと出会った時、親父さんが好きだと思ったんだ。
ボクも親父さんちに来たいと思ったよ。
なぜなら、親父さん優しそうだったし、ネコのことを一番に考えてくれそうだったからね。
親父さま、ワタシも思ったわよ。
親父さまんちに来ようって。
ただね、親父さま、勘違いしないで下さいな。
ワタシたちを選んだのは、親父さまじゃなくってよ。
ワタシたちが親父さまを選んだの。
親父さん、マーベルの言うとおりなのさ。
親父さんを選んだのは。。。ボクたちだからね。
今日は三連休開け。
寒い。
しかもあいにくの雨。
お仕事、ご苦労様です。
最近のコメント