最近強くそう思う出来事がありました。
ぶんたは自動給水機が結構好きで、時々催促をしてきます。
正し、入れたてのぬるま湯でないと飲まないことも多いのですが。
コタローは逆に入れてから少し経って常温になった水が好きみたい。好みの違う2匹ですり
そんなぶんたがある日、給水機を叩いて合図をしました。
ははーん、ぬるま湯が飲みたいのですな。
そう思った私はいそいそとぬるま湯を作りに台所へ。
ついでに給水機も洗ってセッティング。
さぁ、ぶんちゃんどうぞお飲み下さい!とスイッチをオンにした訳です。
そしたらぶんたはまるで「うわー、おみずでた!ぶんちゃん、おみずでてほしかったんよ」と言わんばかりに給水機と私にスリスリを繰り返し、満足げに立ち去りました。
…飲まんのかい。

別の日の、ぬるま湯がぶ飲みぶんた。
どうも彼の中では鑑賞したいだけの瞬間があるようだな…と理解はしましたが、聞きたい。
それ見てて面白いの? と。
面白いんだろうな…。

「こたろーはあんまりです」
こちらも個体差ですね😀
そして漫画。
最近、こちらを読みました。
『アタリ』(琥狗ハヤテ先生)

神様と、神様が作った守り神が現世見学をする話。
その守り神が猫的な感じなんですね。
この話から入ったのですが、こちらはある種の番外編というか後日譚。
元のお話は
『ねこまた。』

江戸時代の京都を舞台にした、家の守り神との生活のお話。
ねこまたは厳密に言うと猫ではないのですが(猫も出てきます)、主人との生活や寄せ合う想いの尊さにじーんとしました。
どちらも「まだまだ世界には素敵なお話があるなぁ…」と唸るような本で、お勧めしてくれたAmazon君ありがとな! という気持ちです。
ネコジルシで日記などを読ませて頂いていると、人にはその人それぞれの思想や方針があるなぁ…と実感します。
自分は自分しかいないし、他人とは折り合いをつけながら生きていくしかない。折り合いのつかない人ももちろんいます。
でも考え方が違うからと否定するのではなく、「そういう考え方もあるな」と少し角度を変えて考えられるといいですよね。
その結果「やっぱり自分の考えかとは違う」となっても他人の考えは考えとして尊重して折り合いをつけられるのが個人的には理想の折り合いです。
理想とは難しいから理想なんですけれど(ただ猫に害を与えるとかはもちろん問答無用でNG、徹底抗戦ですが)。

お互いに尊重している距離感…?な猫がオチです。
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