はじめに
今日は猫の話ではありません。十姉妹(じゅうしまつ)のお話しです。私の不注意で、死なせてしまった小さな命がありました。命日の今日、この子の生きた証を残しておきたいと思い、ここへ綴ります。
こういう話は苦手…
そう思われる方は、遠慮なくスルーしてください。長文です。宜しくお願いいたします🙇
人生で最大に苦しかった2013年
母と二人暮らしだった私は、2013年7月に母を癌の再発で亡くしました。再発と分かって僅か1ヶ月という出来事に、当時は心の整理もつかないまま眠れない毎日を過ごしていました。
当時、わが家には年老いた十姉妹(じゅうしまつ)が4羽
鳥も年をとり弱ってくると、時々、水飲み場の水槽で溺れたりすることがあります。
私は心配で昼休みに自宅へ戻り、様子を見る毎日でした。
1羽は老衰で、2羽目は案の定、水飲み場で溺れ、3羽目は昼間私の帰りを待ってから、私が職場へ戻ろうと“行ってくるよ”と声をかけると、私の姿を見て安心したのか眠るように亡くなっていました。
息を引き取ったばかりでまだ温かく…
職場に戻りたくない気持ちを押し殺して、家を後にしました。
最後に残った1羽、その子が今日の主人公…
名前は『真っ白なピーコ、白ちゃん』です。
わが家の十姉妹はどんなに増えようとも、名前は全てピーコちゃん
だけど私の中では、『お目目の悪いピーコちゃん』であったり、『O脚のピーコちゃん』であったり『人懐っこいピーコちゃん』であったり、『ガンコちゃん』であったり、『白ちゃん』であったりするのです。
言い忘れておりましたが、母が亡くなったその年の11月に、黒猫コスモス嬢を家族に迎えていました。
元々、十姉妹が居たので猫を飼うことは想定外のこと、危険にさらさないよう別々の部屋でお世話をしていました。
夕食の後片付けが終わると、念のためコスモスをケージに入れて、別の部屋で待つ白ちゃんを鳥かごから出して、手に乗せたりして遊ばせていました。
一緒にうたた寝したり、頬ずりしたり
話をしたり、一緒にテレビを視たり
この子とふれあう時間が、一人取り残された私にとっては慰めでした。
白ちゃんもまた、いつも仲間を見送る側で
私と一緒でした…。だから、この子のことは最期までしっかりと見届けたい、そう思っていました。
人生最大の悪夢 2014.3.28の夜
2014.3.28 午後9時頃…
居眠りをしていた私は、“はっ”としました。
強く抱きしめたまま、私の顔が覆い被さるように寝てしまった私は、あの日、大切な大切なピーコの白ちゃんを失いました…
ぐったりと頭を垂れた姿に愕然となり…
白ちゃん 白ちゃん
死なないで
いゃー 死なないで…
目を開けて…
体に刺激を与えて、何度も何度も呼び起こそうとしました。
でも、白ちゃんは
二度と目を覚ますことはありませんでした…
白ちゃんが、わが家で飼った最後の十姉妹
十姉妹を飼い始めて16年
こんな結末が待っていようとは…
悪夢でした…
茫然とし…
悲しくても、泣きたくても、泣けない
ショック状態でした…
どうしたらいいの…
…
ごめんね ごめんね
何度も叫んで
何度も詫びて…
私は放心状態のまま、時間も忘れて固まっていました💧
コスモスを迎える時、危険にさらしてしまうのではないかとあんなに悩み心配したけれど、命を奪ってしまったのはコスモスではなく、私でした…
生き物がいる暮らし 白ちゃん亡きあと …
昔から、それこそ私が小学生の頃から、わが家は何かしら鳥に縁がありました。気がつけば人から譲ってもらったり家に迷いこんだりと、いつも鳥がいる生活でした。
鳩や鶏、セキセイインコ、十姉妹など…
生き物を飼うと家を長期間留守にできないこともあって、一度、生き物のいる暮らしに区切りをつけたことがあります。
しかし、最後のセキセイインコを見送ったその数ヶ月後に、父の癌が見つかります。
わが家に初めて訪れた大きな危機、命の期限が言い渡されます。
その時、私は初めて、この家を守ってくれていたのはもしかしたら鳥たちだったのかもしれないと思うようになります。
ほんの数ヶ月、鳥が居なくなった隙間に入り込んできた病という悪魔
もう一度、わが家に鳥を…
鳥を守り神のように思ってしまった私は、初めてペットショップから繁殖力の強い十姉妹を購入します。
生まれてくる命 と 終える命…
十姉妹の生き死に何度も立ち会ううちに、この子たちは体を張って幾度もわが家の危機を救ってくれているように思えました。
いつも口癖のように
“今日もありがとう
守ってくれてありがとね”…と
愛おしい存在ではあったけれど、私は心のどこかに、この子たちが守ってくれているという安心感みたいなもを求めていたのかもしれません。
しかしながら長い年月を経ていくうちに、近親交配で繁殖しなくなってしまい
どんどん年老いて行く十姉妹…
いつしか…
ピーコちゃん
もう、頑張らなくていいんだよ…と
今度は私が見送る番だと思うようになっていました。
時代の流れと共に、ペットショップで十姉妹を見ることはほとんどなくなり、増やすのはよそう、そう思い始めた頃…
その間には、先日、日記に書いたクロ(黒猫)との出逢いと別れがあり、その翌年、母が亡くなり、想定外でコスモスを家族に迎え、それから3羽のピーコたちを見送り、間もなくして白ちゃんの悲劇へと…
私は、この取り返しのつかない悲劇になかなか白ちゃんとお別れができず、2日間も一緒に添い寝をして過ごしました。
2014.3.30(日)15:51
庭に白ちゃんを埋葬
歴代のピーコちゃんは、全てわが家の庭に眠っています。
桜の花を窓越しに、白ちゃんの亡骸の横に寄り添うコスモスと写真を撮りました。
ありったけの気持ちを込めて、花で着飾って埋葬しました。
この時も、その年の春に初めて聞いた鶯の鳴き声…
当時、綴った日記にそう記されていました。
目には見えなくても、ちゃんと亡き母が寄り添ってくれていたのかな…
※鶯と母との想い出
“ありがとう” を あなたに …
あらから10年…
ずっと心に秘めて弔ってきた白ちゃんの命日…
退職したら真っ先に、命日にこの出来事を綴り、白ちゃんが生きた証を、そして白ちゃんへの想いを書き残しておきたいと思っていました。
やっと…
白ちゃんとの約束が果たせたように思います。
母を亡くし失意のドン底にいた私
人生で一番辛い時期、傍で寄り添い、私の帰りを温かく迎え、支えてくれた最後の十姉妹、白ちゃん
私たちは同士です
白ちゃんの命を、最期は思いもよらぬ形で終わらせてしまったこと、それは決して謝っても謝りきれないですが、それよりも今は感謝の気持ちの方が強く
心からありがとう…を伝えたいです
死なせてしまった悔いはある…
だけど
白ちゃんが一生懸命に生きてくれたから
一生懸命、私を励まし支えてくれたから
“ありがとう”の言葉しか見あたらない
“ごめんなさい”ではなく
やっぱり “ありがとう”なの
白ちゃんへ
心から ありがとう を言います
本当に ありがとう
ずっと忘れないから
今でも ずっと ずっと
愛してる 白ちゃん のこと…☘️
あとがき
3月はお彼岸と共にクロの命日や白ちゃんの命日、そしてペット霊園の慰霊祭へと続きます。仕事をしていた頃から、いつか白ちゃんの秘めた出来事をちゃんと逃げずに書き残しておかなければと思っていました。それが命を奪ってしまった私の責任でもあると思うからです。
時間に追われ、10年という歳月が経ってしまいましたが、ようやくその想いが叶いました。
読んでいただいた皆さんが、どのような感想を持たれたかは定かではありませんが、少しでも白ちゃんという存在を知っていただけたら幸いです。
読んでくださり、ありがとうございました🙇
今日もお空の上から見守ってくれているクロ(KURO)、ピーコちゃん、真命(まこと)、そして『ふわり』へ感謝☘️
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