2024.11.4 晴れ
『ふわり』を見送って一年が過ぎました
「ペットロス」という一言では語れない喪失感
未だ悲しみを乗り越えられないまま
毎日「おはよう」「おやすみ」と声をかけ、手を合わせる日々です
私は『ふわり』に何をしてあげられただろうか…
そんな風に問う自分がいます
“どんな出会いにも
別れにも 意味がある”
そう聞いたことがありました
出会わなければならなかった
かけがえのない存在って…
心の準備もできないままの
突然の別れって…
これから何年もかけ、私はその答えを探すのだろうと思います
『ふわり』に、遠い未来は叶いませんでした…
長くは生きられないと知った時
ガラス細工のような『ふわり』には、少しでも穏やかに生きていてほしいと願いました
鎮静剤の助けを借りなければできない診察なら、ストレスでしかない
あの子の寿命を縮めてしまうかもしれない
ならば
自然の成り行きに任せたい
そう心に決めました
だけど
そう決めたものの、『ふわり』を失う恐怖に心はいつも揺らいでばかりでした
それでもなお奇跡を信じ
どこかに淡い期待をして…
…
何気ない日常が、何気なく繰り返される日々が、どれほど愛おしいものであったか…
彼女はあるがままに、 この瞬間を生き
苦しむ姿ではなく、最期まで普段どおりに過ごす姿だけを残し旅立って行きました
『ふわり』らしく…
私に心配させまいと、あの子の精一杯がくれた大きな優しさであったと思います
彼女が生き急いだ3年8ヵ月
その歳月の中で貰った〈しあわせ〉
私はまだ何一つ返せてはいないけれど、虹の橋へ無事に送り出せたことは何よりも救いです
あなたが生きた
〈命の重さ 〉
忘れないから…
そして
〈人に愛される喜びを〉
少しだけお手伝いできたこと、心から礼を言います
『ふわり』
ありがとね
あなたは私の心の中に…
今までも
これからも
いつまでも一緒だよ☘️
あとがき
時々、急に寂しさが込み上げて涙ぐんでしまうことがあります突然襲ってくる〈会いたくて、抱きしめたい〉気持ち…
リフォームも終わって新しくなったこの部屋に、どうして『ふわり』がいないのかと悲しくなります💧
*グリーフワーク(悲嘆のプロセス)
大切な存在を亡くした人に起こる、ごく自然な反応なのだそうです
書籍によって表現の違いはあるのですが、「ショック期」「喪失期」「閉じこもり期」「再生期」と、このようなプロセスを経てようやく回復期へと向かうのだそうです
この一年、いろんな事がありました
『ふわり』を失った悲しみが癒えない中で、『ふたば🌱』の予期せぬ病気に始まり、トントン拍子で慌ただしく始まったリフォーム、そして自分自身への健康不安等々…
あたふたした日々に、心と体のバランスを崩してしまった私です
こんなに長くネコジルを休んでしまったのも初めてで、些細な出来事が引き金となり、なかなか前に進めない日々でした
『ふわり』の一周忌を前にして、こんな私も私なんだと、ありのままの正直な気持ちを綴る日記にしようと思いました
お天気に恵まれなかった最近ですが、昨日と今日は秋晴れとなりました
心地よい穏やかな時間…
これも、この日のために『ふわり』が運んでくれた優しさなのかもしれません
最後まで読んでいただき、ありがとうございました🙇
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