久しぶりのルートの散歩で、小学生に囲まれたハチワレ猫ちゃんを発見。
おー、生きてたか~!よかったよかった。
しばらく見なかったので、心配してたよ。
よく近くで一緒にいた白の多いぶち猫、黒猫はずっと見てない。
最近草が刈り込まれたので、昼間はあまり表に猫がいない。
表に出ているのは、病気の黒い子。
先週あたりにひどい姿になっていた。ケンカしたのか、カラスの攻撃なのか・・
なんだか一回りやせた気がする。痛々しいなぁ。
すぐそばの茂みに隠れるようにそっと水と餌が置いてあり、静かにその餌を食べていた。
良かった、まだ食べられるんだね。
ハチワレちゃんの場所に戻ると、小学生たちがバイバイしているところだった。
私がそばのベンチに座るとハチワレちゃんがひざに飛び乗ってきたので、女の子が「あれっ、なついてるー!」と驚いていた。
「ちがうよー、餌が欲しいだけなんだよ~」
とにぼしを取り出すと(なぜか持ってるのだ)なるほどーという顔をしていた。
「あのー、ここにいた黒ちゃん知りませんか?」
「おっきい子?ちっさい子?」 「おっきい子」
「最近ずっと見てないなぁ。この子(ハチワレちゃん)も久しぶりに見たんだ」
「そっかー、死んじゃったのかな」
・・・
こんな具合で、猫がいる場所には、老若男女さまざまな人がとっかえひっかえ現れて見守っている。
ボランティア団体の女性が餌をやりに来ていてお話するときもあるし、市内の公園を散歩して猫を見ているおじさんと話したこともある。
休日などは人だかりも見るし、真剣に猫に話しかけている若者もいる。
そういや、餌やり禁止の看板変わった?と見てみるも、中身はあまり進歩してなかった。
というのも、見た人の具体的な行動につながる誘導が一切ないのだ。
感情に訴える、害を訴えるのも必要かもしれないが、一番は行動につなぐことなんではないのかしら。
説明不足だし・・第一、糞がどうのと書いてあるけど、私はここの猫のうんちを一度も見たことがない。
毎日知らない間に清掃している人がいる?とは考えにくいなぁ。
散歩の人たちとも話しているが、ちゃんと埋めてるんだと思われる。
それに、餌やりが問題じゃなくて、遺棄と未手術で増えるのが問題なのでしょ。
・・ま、細かいことはいいとしても。
せめて動物愛護センターの地図と電話番号書くとか(すぐ近所なのに)、募金先や情報入手先書くとか、いつも来てるボランティア団体さんの連絡先書くとかいろいろ案はありそうに思うけど、
書いてないってことは、反応あった時に責任持てないってことかなあ。
猫の保護できなくても、情報提供、啓蒙、指導、募金や協力依頼はできると思うけど。
「避妊去勢手術もしてください」
わかりました、じゃあ、まずどうすれば?と思った人が無事野良猫の避妊去勢手術を終えるまでにはさまざまなステップがあるので、何も知らない場合は一人ではムリ。
捕獲はどうやってやるの?(捕獲器借りるのは最初はけっこうめんどいよ)
動物病院はどこが野良猫の手術を受け入れてくれるの?(けっこう限定されるよ)
費用はいくら?何人かで出し合うしくみはあるの?
手術後はどのくらい面倒を見るの?
どこで情報や支援が得られるの?
・・といろいろあるので、まず情報提供と指導ができるところへの誘導が必須と思いますだ。
猫の飼育の勉強を始めて間もないけど、行政やペット社会の全体としての次元の低さと乱暴さ、前近代的な現状には驚くことが多い。
一方では、自費でこつこつと忍耐強い努力を続ける、有志の方々もいる。
表の華やかさとはえらいギャップ。でも楽しむだけではなく(楽しむことは大いに賛成)、必要なことはやって、暗闇にはどんどん光を当てていかんといかんと思いますだ。
日本人は闇の部分を隠しすぎる。
ひたすら池の水を飲む野良ちゃん
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今日も仲良しうちのねこ
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