今日は遠い昔の話です。
ちょっと長くなると思います。
私が小学5年生の時、タマはやってきました。
近所のお茶屋さんで生まれた子をもらったのです。
「オスだと思う。」と騙されて(笑)やってきたタマは思いっきり女の子でした。
写真も全然残っていません。
・・・というよりほとんど撮りませんでした。
なんでしょうねぇ、迷信で「ペットの写真を撮ると早死にする。」ってその頃聞いていたんですよねぇ。
だから、りんちゃんの写真を探している時に出てきたこの写真、私にとってはとても貴重です。
目が片方だけ思い切り光っているけど(笑)
一体どれくらい前の写真なんだろう?
横にかかっているディズニーランドで買ったバッグから推測するに、私が中学生か高校生くらいの時に撮ったのかなぁ。
きっと30年近く前の写真。
タマは人間にスリスリするような子ではありませんでした。
クールというか控え目で。
でも、決して人間嫌いではなく、おとなしく触らせてくれるし、寝る時も布団の中ではないけど、私の足元で寝る子でした。
そして、とても賢く強かったのだと思います。
タマはお外とおうちの中を自由に出入りしていました。
それでも傷一つ作ってくることがありませんでした。
大きな病気をしたこともなく、16年間生きました。
もしかしたら、女だてらにそこら辺一体のボスだったのではないかと(笑)
タマの最期は、父の車の運転席側のドアの前でした。
やはり傷一つなく、綺麗な姿で横たわっていました。
きっと心臓発作や老衰でしょう。
父はタマを「頭がいい、タマはうんとかわいい。」って言ってたから、父にみつけて欲しかったのかもしれません。
私が27歳の時でした。
私が11歳の時タマと出逢い、27歳まで生きてくれた・・・なんだかすごいなぁと思います。
私の思春期も成人式もみんな知ってるんだもんな。
タマが亡くなった時、悲しかったけど、後悔もありませんでした。
ただただ、よく頑張って生きたね、ありがとうね、って気持ちで。
きっと苦しまず、寿命を全うしたからだと思います。
私が10代の頃、ネコの避妊手術は今のように当たり前ではなく、外飼いも普通だったと思います。
自由に出入りしていたタマは、何度か出産した後、私が高校生くらいの時にやっと避妊手術をしました。
生まれた子どもたちは、友達や知人にもらわれていったり、うちで飼っていたけどいなくなってしまったり、原因不明の死もありました・・・。
ナナは、タマが出産した内の一匹です。
当然家で生まれていますので、生まれたばかりの赤ちゃんのナナを私は見てきました。
中学2年生の時でした。
生まれた時から人間が近くにいたせいか、とっても人懐っこい甘えん坊。
いつも私の膝の上にいました。
いつも私の腕枕で寝ていました。
私が泣いていると涙をなめて拭いてくれました。
すごくすごく優しい女の子でした。
後にタマが再び出産した時は、タマの代わりに子猫の面倒を見て、出ないおっぱいをあげてたこともありました。
女の子だけど、気難しさも一切なく、ただただ素直で優しい子でした。
いつも私にべったりだったのに、こうして写真を見ると、「ナナってこういう顔だったんだなぁ。」と、記憶が薄れていることを感じます。
もう一枚あります。
ナナって茶色いチョビ髭があったんだなぁ(笑)
意識して見たことなかったなぁ。
ナナの最期はとても辛いものでした。
私が27歳の年、6月17日のことです。
私はもう都内で一人暮らしをしてナナと離れて暮らしていました。
友達とごはんを食べに入り、座ってすぐに実家の母から携帯に連絡が入りました。
「ナナが死んじゃったよ・・・!」と泣き声で。
友達の家からごはんを食べに行くまでの道のりで、ちょうどナナの話をしていたのです。
同じ年の3月4日、タマが亡くなったばかりで、そのことを友達に話しながら、
「だから、ナナには長生きして欲しいんだ~。」って言っていた数分後、母からの連絡が入ったのです。
私はショックが大きくて、友達に謝って、その日の遊びを切り上げさせてもらいました。
ちょっとキツイ描写が入ります。
弟が発見したそうです。
実家の裏は駐車場になっています。
そこに一台、普通車じゃなく、大きなトラックが停まっています。
ナナは、そのトラックがいつも停まっている場所で轢かれていたそうです。
ナナとタマは外飼いなのに長生きできてたのは本当に賢かったからだと思います。
道路もちゃんと右見て左見て・・・車が来ないのを確認してから渡っていました。
そんなナナが轢かれるなんて・・・。
きっと歳をとって動きも鈍くなってたから、トラックの近くでひなたぼっこでもしてたのかもしれません。
私にはショックが大きすぎるから・・・と家族が思ったのか、詳しいことは聞かせてくれませんでした。
ただ、弟がつぶやいた一言が、今でも脳裏から離れません。
「目も出ちゃって・・・。」と・・・。
原型をとどめていなかったのでしょう。
弟はその日涙が止まらず、仕事ができなかったそうです。
弟も今でも色々思い出すようですし、後悔も消えることはないようです。
私は実家に帰りましたが、姿は見ない方がいいと、もう埋葬されていました。
タマと一緒の場所に。
親子で同じ年に逝ってしまいました。
タマがナナを連れて行ったのかもしれませんね。
ナナは14歳でした。
ナナが亡くなった約1ヶ月後、倫太郎がやってきました。
最初はナナとりんちゃんを比べていました。
私の中でネコの基準はナナだったのです。
だから、
「りんちゃんは唇も肉球も黒いんだなぁ・・・。」
「お鼻の色が違うんだなぁ・・・。」
「なんでりんちゃんは布団に入ってもすぐピャーって出ちゃうの?ナナはおとなしく寝てたよ。」って色々複雑でした。
でも、不思議ですね。
いつの間にか倫太郎はナナにどんどん性格が似てきて、どのネコよりもかけがえのない存在になり、今、私のネコの基準は倫太郎になっています。
倫太郎はナナが探してきて私の元に送ってくれた子なのかなぁとずっと思っています。
倫太郎とナナ、どちらも14年間の生涯でした。
私のネコ歴は振り返ってみるともう30年以上なんだなぁ・・・。
それでも、まだまだわからないことがたくさんあります。
タマの何度かの出産で避妊手術の必要性を知りました。
今のようにネットが発達していない中でしたが、詳しく調べていくうちに、避妊・去勢は繁殖制限だけでなく、病気の予防にもなるんだと初めて知りました。
でも、タマの出産を近くで見る機会は、幼かった私に命の大切さも教えてくれたと思います。
ナナの死で外飼いの危険性を痛感しました。
倫太郎の病気でフードの大切さを実感しました。
また、病院選びの大切さや、「少し様子を見てみよう・・・。」と迷うことが命取りになること・・・たくさん学びました。
ナナの死の教訓から、倫太郎は完全室内飼いで大切に大切に育てて来ましたが、それでも外飼いで16年生きたタマより短いんですよね。
ネコ歴がいくら長くても、『ネコ飼いのプロ』になれるわけではないんですよね。
「私は長く飼ってて詳しいから大丈夫~!」って慢心したら大変なことになるでしょう。
長く飼っていても倫太郎を助けることはできなかったし・・・。
だから、色んな事をネコと暮らす中で学んでいくしかないんですね。
それでも失敗することもきっとある・・・。
たまたまネコ歴が長いから、去勢避妊は当たり前、完全室内飼い以外選択肢なし、に今自分はなっていますが、世の中意外とそうでもなかったりしますよね。
職場の人のおうちのネコは4歳くらいだけど避妊してないと言ってました。(一応室内飼いだけど)
「避妊ってした方がいいの?」って聞かれたので「そうですねぇ。発情しちゃうとネコ自身が辛いみたいですよ。避妊すると病気の予防にもなるらしいですよ。」って答えましたが、なんだか強くは言えませんでした。
あんまり主張を押しつけすぎてもねぇ・・・。
私『プロ』じゃないし。
ただ、参考にして考えるきっかけになって欲しいなとは思いました。
今は、このネコジルシに出逢えたおかげで、思い切りネコの相談ができるので助かってます。
長年ネコと暮らしてきた自分でも不安でいっぱいだったり、無知な分野がたくさんあるので。
本当にネコジルシありがとう~+。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。+゚
ネコ飼い初心者さんもこんなサイトがあると安心ですよね♪
なんだかタマとナナの話から脱線してしまいました。
長年家族だったタマとナナのことを一度で書き上げるのも無理がありました。
タマ、ナナ、倫太郎・・・みんな私にたくさんのことを教えてくれてありがとうね。
あなたたちの命から学んだことを、小太郎と小倫の為に活かしていくからね!!
みんな虹の橋で仲良くね。
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