あの震災から4年。
私は当時、東京都北区に住んでいました。
勤め先の幼稚園は東京都大田区。
通勤には約1時間かかる場所でした。
午後2時46分。
幼稚園の園庭で子どもたちと遊んでいました。
初めは普通の地震だと思っていました。
でも、園庭の真ん中に子どもたちを集めると、どんどん大きく揺れて行きました。
園内放送で「東京、震度5強。宮城県、震度7(実際は6でしょうか。)です。」と流れてきたことに耳を疑いました。
園の周辺のマンションが信じられないような揺れ方をしました。
大田区で羽田空港が近く、飛行機がありえないくらい低空を飛んでいました。
機体の文字がはっきり見えるくらい。
たぶん着陸許可が出なくて旋回していたようです。
ただごとじゃないことがすぐにわかりました。
私は、家で一人でお留守番をしている倫太郎が大丈夫なのかいても立ってもいられませんでした。
都内の電車はすべて止まっていました。
幼稚園の子どもたちは次々お迎えが来ましたが、お仕事をしている保護者の方もたくさんいたので、最後の子どものお迎えは、21時半くらいでした。
その間、テレビから流れる信じられない光景。
私は、自分の家がどうなっているのか想像もできなくて、ただただ倫太郎が無事であることを祈りました。
夜も遅くなり、園長から園に泊まっていくように何度も説得されましたが、
「猫がいるので絶対に帰りたいんです。」と言って、電車が動くのを待ちました。
幸いなことに、幼稚園のある駅の地下鉄が、都内で一番に動き始めました。
それでも22時くらいだったでしょうか。
私の家は、そもそも2回乗り換える上に、JRの駅。
JRは次の日まで動きませんでした。
でも倫太郎に会いたい一心で、地下鉄だけで帰る方法を模索しました。
北区の隣の板橋区の駅まで行けるルートをみつけ、なんとか深夜1時くらいに到着しました。
その駅から家までの道はまったくわかりませんでしたが、倫太郎のことが心配で心配で誰も歩いていない住宅街の道を、勘を頼りに歩きました。
そして午前2時頃やっと帰宅できました。
いつも、玄関を開けると、鳴きながらそこまでお出迎えに来ている倫太郎が、
ドアを開けてもいませんでした・・・。
電気をつけた次の瞬間、血の気が引いたのを今でも鮮明に覚えています。
私の住んでいた場所は地盤が弱かったのか、玄関を入ってすぐのダイニングがまるでテレビでたまにやっているようなゴミ屋敷のようになっていました。
流しの上の物等、ダイニングにあるありとあらゆるものがグチャグチャに落ちて足の踏み場が全くない状態だったのです。
冷蔵庫も丸々1個分位置がずれていました。
この山積みになっているグチャグチャな物の下敷きに倫太郎がなっていたら・・・。
心臓がバクバクしていました。
「りんちゃん!りんちゃん!」と必死に呼びましたが、返事がありません。
物をかきわけて、奥の部屋へ名前を呼びながら進むと、しばらくして、やっと小さな声で「ニャー」と声がしました。
とても怯えた様子でこたつの中から倫太郎が体勢を低くしたまま出てきました。
「りんちゃん、良かった、怖かったね・・・。」と抱きしめました。
長い時間、ずっと1人で心細く怖かったと思います。
でも、あんなにグチャグチャに物が落ちている中、きちんとこたつの中に潜っていた倫太郎。
えらかったね・・・。
あの震災をきっかけに、私は地元に帰ることを考え始めました。
一人暮らしで倫太郎を待たせることが怖くなりました。
そして、翌年、地元に帰って来ました。
昼間は仕事に行っているけれど、同じマンションで母と弟が仕事をしているので、いつでも倫太郎と一緒にいられるからこれで安心だな・・・って。
結局、倫太郎は今のおうちで2年間しか暮らせずに虹の橋へ行ってしまったけれど、
東京で一人暮らしのままだったら、私のいない時に亡くなっていたかもしれないし、緊急で病院に連れて行くこともできなかったと思います。
何より、地元に帰ってきたおかげで、家族みんなで火葬に立ち会うことができました。
あの震災がなかったら、私は東京に今もいたかもしれません。
倫太郎の晩年を地元でみんなで見ることができて良かったと思います。
震災のすぐ後のことです。
私の携帯が壊れて、修理に出そうとしたら、被災地優先で代替機の貸し出しができませんって言われました。
いつから通常になるかもわからず、仕方なく携帯を買い換えました。
新しい携帯で、震災から1週間後に撮影したのが下の写真です。
この日に撮った写真は気に入っているのが多いです。
以前からちょこちょこ載せてるカメラ目線だったりお返事している写真も同じ日にお花をバックに撮りました。
3枚目のはなんだか可愛くて、にゃんフォトオーディションにもエントリーしちゃいました。
そして、震災の翌月、動画も撮れることに気付いて試しに撮ってみたのが残っています。
わずか8秒の動画。
その後、やはり数秒の動画を一年後に撮ったのと、亡くなる1週間前に撮ったものがあります。
ただ・・・全部合わせても1分程度しかありません。
14年一緒にいたのに、動いている倫太郎はそれしか残せませんでした。
高くて可愛い鳴き声も残せませんでした・・・。
とっても後悔しているので、小太郎と小倫の動画はたくさん撮りたいと思っています。
動画埋め込み初挑戦。
急いで調べたのでできてなかったら、休みの日にじっくり直します。
http://www.youtube.com/v/nDHYuRwm0pQ
動いているりんちゃんは初めて載せます。
亡くなってから何度も何度も繰り返し見ています。
ここ一週間くらい、来年度の仕事のことで職場でゴタゴタしていて、精神的にかなり参ってました。
全然みんなの日記にコメントできてなくてごめんなさい。
やっと、結論が出て、気持ちも落ち着いてきたので、また日記にお邪魔したいと思っています。
追記。
3月11日、みなさんの心にそれぞれ色々な思いがあると思います。
ネコジルシにも、私なんかよりずっとずっと大変で、悲しく辛い思いをした方がたくさんいるのではないかと思います。
亡くなられた方々が天国で穏やかに過ごせるよう、お祈り申し上げます。
今、命があること、愛する猫たちと暮らせていることがとても幸せであること・・・辛いことがあってもその幸せを忘れずに生きて行かなければいけないと思いました。
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