長々とすみません、更に続きです。
ペットロス・・・。
辛いですよね、苦しいですよね。
今現在苦しんでいる方もたくさんいらっしゃると思います。
昨年の5月以来、私の心はおかしくなりました。
何の欲もなくなりました。
正直言って、死にたかったです。
自分の今置かれている空間が現実であることを受け入れられなかったです。
夢の中で倫太郎に会える、その夢の中が現実であって欲しいと思いました。
いつも頭にあるのは、獣医への怒り、選択ミスへの後悔、助けてあげられなかった悲しみ、倫太郎の立場になって考えた時の怖さと申し訳なさ等々・・・
本当に苦しかったです。
愛猫を亡くされた方は、色々後悔していると思います。
あの時こうしていたら、死なずに済んだのではないか・・・とか。
私もそうです。
初めて、倫太郎の闘病の全容を書きましたが、私には落ち度がたくさんありました。
おかしな病院に連れて行ってしまったことも、嘔吐が何度もあったのに、“いつも吐くから”と大して気にしていなかったことも。
おしっこで汚れたからといって、蒸しタオルで拭いて体を冷やしてしまったかもしれないことも。
重い病状なのに理解していなくて、外出してしまい倫太郎に心細い思いをさせてしまったことも。
いっぱいいっぱい間違えを犯しました。
そして、最期をおうちで迎えさせてあげられなかったことも心が痛くなる原因のひとつでした。
ネコジルシの日記等で、最期はおうちで迎えたことや腕の中で亡くなったこと等を読むたびに倫太郎に申し訳なくて申し訳なくて、何度も泣きました。
私も倫太郎を自分の腕の中で最期は眠らせてあげたかった・・・そう思えば思うほど苦しくなりました。
でもですね、やっと「そうじゃないよ!」ってわかってきた気がするんです。
もし仮に、あの時、倫太郎を家に連れて帰って来て私の腕の中で最期を迎えさせていたら・・・それはそれで、私は絶対後悔したでしょう。
「病院に入院させていたら、万が一でも助かったかもしれないのに・・・。」
私はきっとそう思うに違いありません。
どの道を選択しても、必ず後悔は出てきてしまうと思うのです。
大切な愛猫を亡くすというのはそういうことだと思いませんか?
だって、みんな、「生きてて欲しい。」その気持ちがすべてなのですから。
亡くなってしまったら、どんな形でも後悔するはずです。
亡くなったら亡くならずに済んだ方法を一生懸命考えて後悔する。
「あの時こうしていたら・・・。」と思うかもしれないけど、違う選択をしていたとしても、結局亡くなっていたら違う形の後悔をするのだと思うんです。
大切な存在が消えてしまうんだもん。
そう簡単に受け入れられなくて当たり前。
やっとそのことがわかりました。
私も、まだ完全にペットロスから立ち直ったわけではないです。
でも、もう大丈夫です。
倫太郎がいなくなってもうすぐ1年3ヶ月・・・。
人によって苦しみや悲しみから抜け出す時間は様々だと思いますが、抜け出せる日は必ず来ると信じています。
ちゃんと悲しい時は泣きましょう!!
聞いてくれる人に思い切り話しましょう!!(私はネコジルシのみんなに聞いてもらえたおかげで元気になりました。)
人と関わりたくなくなったら壁を作っちゃいましょう(笑)
そして、何より・・・
新しい家族(もちろんお猫様)の癒しが一番の薬だと思うのです。
多頭飼いをしている方なら、残されているお猫様たちも薬になってくれますよね。
私だけじゃなく、愛猫を亡くされた方、結構経験していると思うのは、
「もう新しい猫を飼うの?」と言われて悲しい思いをすること。
新しい猫を飼ったら、亡くなった子が悲しむんじゃないか・・・って考えてしまう。
亡くなった子への罪悪感・・・それはそれは辛いですよね。
でも、気にしないで欲しいです。
私は、今いる4猫に本当に助けられました。
1猫だけでは心の隙間が埋まらず、ついに4猫になってしまいましたが・・・。
罪悪感を抱えているそんな時に、教えていただいたのが、kotehanaさんのブログの「そらいろの扉」!!
このお話に背中を押してもらい、新しい子を迎えていいんだな・・・と思ったのであります。
kotehanaさん、勝手にURL貼らせていただきます(笑)
↓
http://azayuzu.a-thera.jp/article/3527253.html
私は元気になりましたが、倫太郎への想いは日に日に大きくなっています。
絶望感→悲しみ→怒り→悔しさ→恨み→喪失感→再び絶望感→・・・・・・
そんな感じに感情が繰り返されるんだと思います。
でも、ほんの少しずつだけど、それらの気持ちに変化が出てくるんですよ。
悲しい辛い思い出ばかりを振り返っていたのが、少しだけ楽しかった日々を振り返れるようになってくる。
そしていつの間にか、楽しかった日の思い出の占める割合が大きくなってくる。
“悲しいよー・・・なんでいなくなっちゃったの・・・?”っていう気持ちから、
“一緒にいてくれてありがとう、出逢えて幸せだったね。”って思うようになって来る。
綺麗事じゃないですよ。
これは私の気持ちの変遷です。
ネコジルシのお友達なら、私が本当にペットロスで病んでるのを見てきているからわかりますよね。
う~ん、色々うまく表現できないですけど・・・
もしペットロスで苦しんでいる方がいるならば、ネコジルシに頼ってみましょう!
ここには気持ちをわかってくれる方がたくさんいらっしゃるので。
さて、いい加減、恐ろしい長文三部作を終わらせないとですねぇ(笑)
なんで今日はこんな日記書いてるの?って感じですよねぇ(笑)
今日、この日記を書いたのは、お盆で帰って来ていた倫太郎にそうしなさいって言われているような気がしたからです。
そういう言葉が迎え盆の日に、心にストンと落ちてきたんですよ~。
はっきりとした言葉ではないんですが、勝手にイメージというか・・・ん~・・・なんだろ・・・メッセージみたいな物を心で感じるんです。
猫の病気のことで悩んでいる人もいるかもしれないし、間違った病院に行っちゃう人もいるかもしれないから病院のこと書こうよ、僕の病気のことをみんなに話そうよ、ペットロスの人の為にも少しでも役に立とうよ。ってね。
ま、全然お役に立てていないかもしれませんが(笑)
そして・・・「そろそろ僕の死をちゃんと振り返ってみんなに聞いてもらおうね。」と言われているような気分になったんです。
霊的なことを信じない人は軽く流してくださいな(笑)
脳の錯覚でもいいんです!!
ネコジルシで日記を書き始めた時から、いつか倫太郎の闘病の全容を日記に書こうと思っていました。
でも、辛くて全然書けませんでした。
約1年3ヶ月ぶりに闘病記録のノートを開いた時は、さすがに涙が出ました。
でも、日記を書き始めたら、全然大丈夫でした。
以前だったら、泣きながら日記を書いてたと思うんですが。
やっと全部を書くことができました!!
ノートを開いた時に涙が出たのは、自分でも書いた記憶がなかった倫太郎への言葉が最後に書いてあったせいかな~。
『午前10時8分 永眠
最期に一緒にいたのわかった?
私たちが行くの待っててくれたんだよね。
瞳孔戻ってたから見えたよね。
りんちゃん 頑張ったね。
お疲れさま。
助けられなくてごめんね。
14年間
ありがとう!!
りんちゃんと出会えて幸せだった。』
亡くなったその日の欄に、こう記されていました。
なんでだかわからないけど、今、これを写してたら涙がまた出ちゃった~。
自分の書いた文なのにね(笑)
りんちゃんにこの言葉がちゃんと届いてるってことかな?
りんちゃん、約束通り、送り盆の今日、りんちゃんからのメッセージを日記にしたよ~。
もう日付変わっちゃったから虹の橋に戻っちゃったかな?
ちゃんとお盆の課題終わったよ(笑)
ちなみに18時から途中ごはんタイムを入れつつ、ずっと書いてました(゚∀゚ )アヒャ
長かった~(笑)
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