2015年を一言で表すなら「公私ともに大事なものを奪われた年」でした。
1月2日から、椰の点滴に通っていました。この時、点滴は2日置きになっていて、本当は病院お休みなんだけど、椰のためだけに、先生が診てくださいました。
それから、3日置きになり、週1回で良くなりました。
腎臓だから、治ることはない。やがてまた、点滴の回数が増え、椰と別れることになるのだろうと思っていました。
そうやって過ごしている最中、職場でも大きな変化がありました。
私が在籍していた部署の業務が親会社に吸収されることになり、部署が消滅することとなりました。
5年間、私はその部署で、一番頑張っていたと思います。というのも、管理職以外の社員で、正社員は私ともう1人の技術屋男性だけで、後は嘱託と契約社員の女性だったので、部内の細かいところ、全部私が仕切ってたんですよね。
新しいシステム作ったり、他の部署とも連携したり、部内の環境を整える為、総務にかけあったり。
精一杯作ってきた場所を潰され、更には親会社へ出向、しかもこの5年間やっていた業務ではない、その前にやっていた業務を命じられ、私の5年間は、完全に消滅させられました。
屈辱的で不服で、でも、会社と喧嘩することはできませんでした。
椰の点滴は1回4100円。アパートも会社から家賃補助を受けています。
最期まで、椰にちゃんとした治療を受けさせるためには、会社を辞めることはできません。
これまで通りの給料と休暇の保証を念押しして、私は親会社に移りました。
そして、4月22日。
突然、椰の様子がおかしくなり、虹の橋を渡ってしまいました。
徐々に悪くなるのではなく、本当に突然、力が抜けてしまったような感じで、あっさりと逝ってしまいました。
何もかもを失くしました。
仕事も辞めたかったんですが、現在の業務は、特別な資格や技術を要するものではないけど、ある程度の製品知識と経験がなければできないので、すぐに代わりを引っ張ってこれるものではありませんでした。
そもそも、システム化されてると、人員入れ替えなんかで、あちこちに登録したりPCの設定したりと、非常に面倒であることを、経験上、知っていましたから。
だけど、そんな責任感だけで頑張れるほど、私は高潔な人間ではありません。
支えというか、私をこの世に留める楔が必要でした。
そして、はーろと出会えました。
たぶん、はーろとの出会いがなければ、2015年は私にとって人生最悪の年で、何も良いことがなかった暗黒の年になっていたと思います。
はーろが来てくれて、私はまた、幸せというものを感じることができました。
出会いの場をくれたネコジという場所、私にはーろを任せて下さった保護主様、グダグダな日記を読んで下さったり、コメント下さったりする方々。
今年は本当にお世話になりました。
来年も、よろしくお願い致します。
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