今から5年前。2011年3月11日に発生した「東日本大震災」。
どうしても、じっとしていることができませんでした。
猫と暮らす人間として、何かしなければ。
思っているだけではもうダメだ。祈っているだけではダメ。
特別な技術も何も無い、末端で細々と活動する猫ボランティアだけど行動しなければならない、と思いました。
日夜インターネットでひたすら情報収集し、初めて現地へ向かったのは4月19日。
その3日後に、福島原発20キロ圏内への人間の立ち入りを禁止する「警戒区域」が設定されたのです。
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原発避難区域・20キロ圏内を分けるバリケード。これは、木戸ダムルートをたどった時だったか...。
バリケードは壊さず、「丁寧に」動かして車を移動させた後で元に戻しました。
そうしなければ、そのルートはより頑丈なバリケードとなり閉ざされた道となってしまうから。
息絶えた、牛舎の牛。道ばたに転がっていた犬の亡骸。
ご飯を食べていた途中だったのか、食卓のテーブルにそのままにされたご飯茶碗やお箸。干したままの洗濯物。
すべての時が止まったままの街で、飼い主を待ちながら、家を守りながら息絶えていった犬や猫たち。
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南相馬市の相双保健所にて。警戒区域から保護されて来た犬・猫の放射性スクリーニングをする職員。
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東京電力の詰め所となっていた「Jビレッジ」敷地内で保護した犬。
私とリアルに面識のある方はよくご存知だと思いますが、私は本当に普通のどこにでもいる人間です。
「よく(福島に)行ったね」「すごいね」と言われたこともありますが、今思い返しても自分が特別なことをした感覚は全くありません。
むしろ、あのときただ何もせずに警戒区域に残された猫達を思って泣いていることができなかった、それだけなのです。
当時、まだ元気だった愛猫・ポルコにはいつもこう言って福島に向かいました。
「ポルコの仲間を助けに行ってくるからね」
ポルコはちゃんとわかっていたのかもしれません。
心身ともに疲れきって帰宅し、ベッドに倒れ込んで深い睡眠からふと目覚めるとかわいいポルコのお手手が私の頬にピタっとくっついていました。
それを見てまた泣きました。
大好きな家族と突然離ればなれになり、空腹と乾きに苦しんでいる猫たちを思って...。
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