とらちゃたお
東京都 50代 女性 ブロック
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福島県いわき市出身、調布市在住。
上京以来、赤ちゃんの時から共に苦楽をのりこえ、1Kから2LDK60平米の賃貸マンションに住めるまでに支えてくれた愛する先住兄貴猫が胃狭窄の急変で2月七日、病院でおか...
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【思い出】うちの亡き母とにゃんこたち
2016年6月16日(木)
2016-06-16T11:55:07+09:00
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たいへんご無沙汰しました。
ご心配メッセージもいただき、たいへんありがとうございました🍀
今、海老蔵の妻の麻央が進行性乳ガンで闘病している。33歳。この年齢で進行性乳ガン。。。
生還の可能性について、厳しい話を海老蔵は医師から聞かされているはずだ。
書く言ううちの亡き母も、初期の乳ガンだから!と、『乳ガンは、リンパ腺の塊の乳房にできた癌なのだから、既に全身に散らばっていると考えるべきで、乳腺専門医に東京で執刀してもらうべきだ』と言う、当時、医学関連の出版社に勤務してた私の主張は、田舎で診てもらったら、その先生を替えるのは失礼してしまうという、田舎の下らない、何を優先すべきかで決めるべき母のオペは田舎で行われた。
その後の三年間毎月検査に行っていたある日、電話がなった。
『肝臓に陰があるからってもらった薬を飲んだら、強くて腰を抜かしちゃって。。。』
私には悪い予感があったので、大阪で薬剤師をしていれ再従兄弟に連絡をし、薬剤の効能を確認した。患者に一切の説明もなく処方された抗がん剤だと判明。
私は、最初のオペの時から癌研有明を主張していたが、予約を取って。。。と言う残された時間は余りないとの恐れが感覚として寄せては返して襲ってきていたので、日本乳ガン学会理事をされていて、アメリカでは20年以上前から、副作用の少ない乳ガンの特効薬として標準治療に用いられているある薬を日本に導入する際の治験統括医師を勤められた先生が、国立癌センターを退官されて、お父様の病院を継がれ、浜松市の駅近くで『日常生活を送りながら、通院で抗がん剤治療。通院できるくらいの体力が無ければ、抗がん剤に負けてしまうから』この信念で、白い病室ではなく日常生活のなかで抗がん剤治療を。。。
この医師へセカオピに行くから、三年も見落とした医療過誤のプライマリーの医師から全部もらってきて!!
浜松でワタナベ先生のお話では、
乳ガンは、一人一人特徴、いわば顔が違うから、一人一人治療も調整しながら向き合わなければならないこと。
乳ガンには、三つの抗体を取り込む角のようなものがあるが、母の乳ガンには三つとも無いトリプルネガティブであると、最初の医師のカルテに書いてある。それにも関わらず、なんの👆も打たず、抗体の入り口がないから効きもしないホルモン剤などを、よく理解もしないで外科医がだし続けた結果が。。。
ワタナベ先生は、レントゲンの一枚を指し示した。肝臓は、臓器のなかでいちばん大きいのですが、ここにあるこれですね。
この変色している部分が全て癌化しています。8割ぐらいでしょうか。
母、父、私。一縷の望みを持ち、何よりも母の励みになればと浜松まで新幹線で一日がかりでやって来た。
次の言葉を言えずにいた私。
でも、母は自ら口にしました。
『先生、あとどれくらい生きられますか?』
先生は、年単位は厳しいでしょうと。
実は、前述した前職の関係で、乳ガンが肝臓に転移した場合の平均余命が10ヶ月であることを私はしっていたので、セカオピのためにもらった田舎で撮ったレントゲンは、七月。
桜の花が見れるかな。。。
かくして始まった、先生が週一で外来を東京の病院でお持ちなので、朝田舎をで、私も昼から早退し、病院で待ち合わせ。
抗がん剤の治療に付き添う。
野球命の父は、六大学野球で明治が優勝し、凱旋してきたパレードに間迎えの病院だったから、ウキウキと観に行っていた。あの秋、私たちは腫瘍内科医のもと、転移性乳ガンと向き合っていたのだった。
忘れられない事件にはこのように、忘れられない思い出もついてまわるものですね。
前置きが長くなりました。
アメリカの老人ホームには、特別な猫がいて、ある老人がみまかられる朝、しずしずと廊下を歩いてきてその部屋にはいり、老人が天に召されるのをベットサイドで見届けるそうです。
新聞記事にもなり、世界中が知ることとなった猫。
親バカですが、うちの家族は、癌になったら、互いに情報を伝え会う約束をしていたので、母は、亡くなる四日前にストレッチゃータクシーで、街並みに別れを告げるように小さな窓から外を眺めつつ帰宅していました。
そして、亡くなる日の早朝、今は、亡きにぃにぃと、牛ちゃんでぶでぶのでぃでぃが、ふたりで母のベットの足元に丸まって付き添いをしているかのようにしていたのです。
あー、お前たちがそうするってことは、ばぁーちゃんは、今日、逝くんだね
そう思ったのを覚えてます。
そうそう。
海老蔵と麻央は、麻央にせがまれて、フカヒレを食べ、病室でふたりで『美味しいね』って涙を浮かべたそうですが、母は、鍋焼うどんが食べたい。。。もう一度。母方の祖母、叔父ともに贔屓にしていた鍋焼うどん屋で、その時点でふたりとも鬼籍に入ってましたが。
母も、父に鍋焼うどんを食べさせてもらって美味しいねと。
事情を話すと、出前ではなく、使い捨ての器に一式揃えて持たせてくださった鍋焼うどん屋さん。海岸沿いだったため、大震災の津波の被害にあったと聞きましたが、再興されたろうか。
なんだか、アメリカの老人ホームの猫ちゃん、乳ガンの話や母のこと。
まとまりがないから、削除されてしまうかもしれない。
一時間かけた記事だけど(笑)
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