「野良猫の楽園」と化した大洲市長浜町の青島は、藩政時代前期に兵庫県から漁業関係者が入植し、イワシ漁を行い、有人島としての歴史が始まります。藩政時代後期には潮待ちの島として利用され、かの坂本龍馬も薩長同盟締結に奔走していた途次の慶応元年9月28日、滞在しています。
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戦時中には海軍が駐留し、「青島艦艇速力試験所」や「青島防備衛所」を設けていました。
戦後は釣り客や海水浴客、キャンプ客等が訪れるようになりましたが、小中学校は昭和50年代初頭までに廃校、平成に入ってからは民宿や旅館も皆、廃業、過疎化が急速に進んでいきました。
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私が訪れたのは猫が増える前の2006年。周囲4.2キロの島内には廃墟が目立ち、当時、無人島化は時間の問題と思われました。尚、当時はSDカードが高かったため、猫の写真は一枚も撮っていません。
現在、全国から来島する愛猫家が、猫との触れ合い以外の島の楽しみ方をどのようにやっているのか、もしくはやっていないのか分かりませんが、私は小さな離島ではハイキングやウォーキングをして過ごします。
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青島神社から青島公民館(旧小学校)へと歩き、廃墟の青島中学校へと登り、床が抜け落ちた校舎の廊下を歩き、屋上へ上がると、そこには島一番の展望が広がっていました。背後の台ノ山には速力試験標がそびえ立っています。
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中学校からは尾根を西に進み、灯台の建つ島の最高峰・大山(91.2m)にあっけなく登頂。しかし展望は得られず。南方のイワシ見張り台も朽ちて上がれる状態ではありませんでした。その側の平地は海軍の兵舎跡。
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その後は潮音寺を見て港へと戻り、鳴瀬波止場袂の、東側に民家が増築された海軍の廃墟の水槽を見学、向ノ鼻北の尾根を越え、弁天崎キャンプ場(夏期のみ開設か?)を経て弁天崎の天辺に登り、定期船出航の時刻までFMラジオを聴きながら、寝そべっていました。
このゆったりとした時の流れの中で過ごすことが、小さな離島の醍醐味とも言えます。
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