数ヶ月もご無沙汰してしまいました。
ご心配頂いた方、直接お話ができた方、みなさん、ありがとうございました。
お返事できませんでしたかたがた、申し訳ありませんでした。
この数ヶ月の間に以下のような話が起きていました。
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赤ちゃん猫が、さっしょぶん場から三兄弟で保護されました。私も東京生活の全てを伴に貧しい時代も支えてくれた長男にぃにぃを病気急変で亡くしたばかり、そのやさきに、次男坊が、末期の腎臓病とわかり、長男を腕の中で看取ったのだし、東京に帰ってこれないほど状態の悪い次男坊がいる実家に少しでも近いところで、かつ、ふるさとに近い場所に引っ越すことを決意しました。
とても大きな決断です。
東京の利便性と楽しさ。隣に誰が住んでいて何をしていようと、干渉しないでくれるドライさ。
東京の醜さと、人をだまして自分が豊かに生きる人々や足の引っ張り合いの会社勤め。交通網は発展しているけど、いつも人ごみ。
田舎にはどちらもありませんが、壁に耳あり障子に目ありの、干渉したり噂話で行き詰るしがらみ生活へは戻ることになります。
以下に、大学時代からみなのまとめ役として信頼する人物にあてたメッセージを引用させていただきます。
彼にだけは引越し先の住所を伝えていくからであり、信頼すればこそ腹のそこからの本音を語れたからです。
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私をささえてくれた猫たちのためにも、三兄弟で保護されたうち、腸のなかに厄介な害虫がいて薬で殺せず、寄生した動物の栄養をすいとり、大腸壁に傷をつけて、下痢の血便にする。。。だから、この子は、うちに来た時560グラムで、他の兄弟の半分しかない、眼球の縁に皮がついているような木乃伊のような顔でした。
おかしいと思い、主治医に見てもらい、害虫によるコクシジウム感染症で、長期戦ですと言われました。
毎日、記録をつけながら、離乳食から子猫のカリカリの以降時期でしたけど、とにかく食べさせて体力と抵抗力と体重をと、毎日、二時間おきにご飯、トイレ、薬の生活が3週間。
完治した際は嬉しかった。
私がこの子を見捨てなかったのは、看病もしてあげられずに看取った長男への後悔と、悲しみをここで乗り越えるようにと、この闘病は亡くなった賢い長男の采配だとおもったから。
それに、家がない子達を救う活動には共感を覚えるし、亡き長男も次男も、おなじだったから。
猫は。。。赤ちゃん猫含めて3にんと私の生活ではないんだ。
長男にぃにぃは、今年2月7日に病気急変で、診察室に駆け付けた私の腕の中で亡くなりました。わがままをいってはく製にしてもらいました。
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次男は兄ちゃんっこだったから、いつもふたりでべったりツーショットか団子だったから、兄ちゃんがいないってんで、三日間夜に鳴いては、兄ちゃんが出てこないか鳴きつづけて、、、禿げちゃったの。
私もにぃにぃの死で2月の記憶がなく体調を崩したので次男ちゃたろうを姉夫婦に預けたの。。。。。だが、猫は何もしなくても腎臓が腎不全に向かって生きているようなものなのに、実家の人たちは、塩分が0.8グラムも含まれる生ハムとか人間が食べるものを、良かれと思ってだろうけどちゃたろうに上げ続けるので、やめてちょうだいと何度も言っているうちに、預けて二か月でGWに急性腎臓炎、そして今は末期といわれている慢性腎不全で3000円もする皮下注射を毎日打たなくてはならないのだけど、それはToo Muchすぎるので、姉夫婦がいけるときに病院に連れて行ってもらって注射を打ってもらてます。
東京なら標準治療のことが、田舎では高価で治療方針も違うから。。。ただ、でぃでぃは東京には帰ってこれないということ。
それに、ちゃーしゅーコンビになるねと迎えた赤ちゃん猫に対面すのもストレスだからと、姉夫婦の家に囲われているでぃでぃには、今日も飼い主の私ですら会えなかったし、夜か週末しか会えない。
ここにたって痛感したんだ。
亡きにぃにぃとの14年間、でぃでぃとの12年間の3にんでの生活が私のすべてだったんだって。
ふたりがいたからみじめだったり、悔しくても頑張ろうと思えたし、ふたりとの思い出はあふれてこぼれるほど。ふたりには癒されたし。。。
ひっきょう、田舎に戻ろうと心を大きく動かしたのは、逆説的だけど、いいことのなかった東京生活を支えてくれて二匹がいなくなってしまったから、ふんばりがきかなくなってしまったってとこでしょうか。
写真にあるのは、ふたりの私が撮影した最後のツーショットのお眠りごっつん姿。
少しでも私の近くで眠ろうと競い合った結果くっついて足の間で眠ってる。
これが1月31日で、この1週間後に左のにぃにぃ(左)は、明け方に血反吐を吐き、午後3時に私の腕の中で私が呼び戻そうと「おかぁちゃんだよ」と呼び続ける中他界しました。
こんどの物件は今日見てきたけど静かな湯本町の温泉街の真ん中にある、2キロ実家からは離れているけど、次男には会いに頻繁に行きますよ。
私が飼い主だし、何かあったときに看取ってあげられないなんていやだから。
なので、物件数が1-2件しか空きがないけど
実家から遠くてやすい物件は結構あるけど、それでは田舎に帰る意味がないし。
にぃにぃを徳島市から私に託してくださった方、理恵ままの『てのりーず』っていうHPを15年ぶりに発掘できたんだけど、にぃにぃが亡くなったことを伝えなくてはとメールしたけど戻ってきちゃって、、、
悲しいことだけど、きちんと伝えなくてはと元親の理恵ママを捜しているのだけど見つからないし
近くで不動産業をしている弟さんへ2度ご連絡さしあげたのだけど黙殺されてしまって。。。
15年という歳月は、祖で触れ合うも他生の縁すら消え去る東京なのだなぁと。。。捜索継続中です。
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赤ちゃんねこは、感染症が治ってからコメディアンになりました。
いたって元気です。
自分を手荷物にしたことを怒る彼。『何だとー、僕が手荷物だとー!?』
3.11、あの日、凶器になった、私の故郷の海をみました。
北京語でも、可愛いことを『可愛』といいます。発音が微妙に4声があるから違うのですが
台北へ向かう飛行機の中で、下手に発音したらチーフCAに北京語の発音を治されました。。。。ORZ
猫是可愛。(Mao shi kuwai)
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