それからはまた小康状態でした。
昼間はあまり食べないけど、
夜中から明け方にかけては結構ムシャムシャ食べてて、
体重も少し増えたりして
先生に褒められてました。
安心してたんですけどね。
あれは、6月7日の朝、
その時はムシャムシャ食べてました。
でもその日の昼から、
パッタリ・・・ほんとにパッタリ・・・
食べなくなってしまったんです。
またいつもの病院に行きました。
「口内炎はできてないね」
「ニャーって口あけたときにみたから」
もう先生はサクに嫌われ過ぎて、
触れないほどになってました。
「また食べなかったら連れてきて」と。
いや、もう食べないから連れて行ったのに。
いつもの注射はしました。
スープの汁は少しだけ飲みました。
2日間くらい。
でもその後は汁も飲めない。
水も飲めない。
なんか舌が出てこないみたい。
もうその頃は病院に対しても拒否反応がすごくて、
薬もどんだけ嫌なの?ってくらい、
喉の奥に入れて、かな~り時間が経つ間、口を閉じさせてても
どこかからか出してきて吐き出す。
先生の声は聞いただけでウーウー唸る。
病院から帰ってくるとより一層グッタリ。
で、もうこのまま見守ろうかと思いました。
このままおだやかに、
病院も薬もサクの嫌いなことはやめて、
ふたりで仲良く、
ベッタリらぶらぶ♡で、
ずっとずっと一緒にいよう。
白血病は完治しない、
病院に連れて行く方がストレスだし
帰ってくるとぐったりし、弱まる、
このまま静かに見守ろう、と。
でもね、病院に行かなくなったら
食べなくても結構元気なの。
顔つきもしっかりしてる。
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こんなコがもしかしたらあと数日で死んじゃうかもしれないって
まったく思えなかった。
やっぱ諦めきれない!
何か手立てはあるんじゃないか?
もしかしたら病院を代えたら?
突破口はないかな?
そう思いだしたらいてもたってもいられず、
以前に見かけたことのある、
ちょっと離れた猫専門の病院に連れて行くことにしました。
そこの病院はゼンゼン嫌がらなかった。
初めてだから、悪い印象もないのかな。
いや、もうその元気もなかったのかもしれないけど。
でね、先生が診るなり、
「脾臓がカチカチだね、黄疸もすごいね」って。
脾臓がどんなものか、今どうなってるのか説明されたけど、
血に関係があるってことくらいしか
頭に入らなかった。
注射を何本か打って、強制給餌。
やることは変わらないな。やっぱり・・・。
先生に聞きました。
「もうダメですか?このコ。
まだこんなにしっかりした顔つきなんですけど・・・」と
きっと泣きそうで、すがるような表情だったのかもしれない、私。
先生はダメとは言わなかった。
私への思いやりかな。
「これからもっと悪くなりますよ」って。
間接的に言ってた。
強制給餌は本当に嫌そうで心が痛んだ。
あげた分以上じゃないかと思うほどの量を吐き出す、
夜にあげたのに、次の朝になってもまだ口につけてる・・・。
きっとあともうわずかの命。
そんなに嫌なことをしても、
どれだけ変わるんだろうか?
もうサクがこんなに嫌がってることはやめよう。
運命を素直に受け入れよう。
そう思いました。
でもね、どこまで治療を頑張るのか、
それはその家族それぞれだと思うけど、
私はあの時、もう1回別の病院に行って良かった。
納得できた。
サクの命の限界を受け入れることができた。
そして、サクの嫌がることをあの時にやめてよかった。
最後まで苦しみを続けることなく、
ふたり仲良く、
私もサクもゆったりとした気持ちで過ごすことができた。
それから数日、おだやかに過ぎていきました・・・。
相変わらずもうゴハンは食べられないけど、
シリンジで水を飲み、
ウンチは出ないけどオシッコはちゃんとトイレでしてた。
でも、した後に砂をかけることはだんだんできなくなってた。
その頃、別の部屋からネットワークカメラで見て、
頭を降ろしていると具合が悪い?生きてる?と心配で、
でも私が見に行くと、ちゃんと頭を起こして
「なに?なんかあった?」みたいな顔をして、
もう何日も食べてないのでだるいだろうに、
私に心配をかけないようにしてくれているサクでした。
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最期が近づいた日々、サクがよくいたのは洗面所のシンク脇のスペース。
近くに椅子を置いてあげると、1人で昇ったり降りたりも出来てました。
そして、私もほとんどの時間その椅子に座って過ごしました。
サクにとっては、洗面所は冷たくて気持ちがいいのかな。
私にとっては椅子に座ることでサクと目線の高さが合い、
ずっとそこでふたりでとりとめもない話をしたり、
私は缶ビールを持ってきて、そこで飲んだりもしていました。
最後の数日には、サクは新たな「水を飲む方法」を編み出していましたね。
あごから口、鼻の部分まで水につけて、
口の隙間から入ってきた水を飲む方法です。
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鼻までつけて水が口にしみ込んでくるのを待つので、
その間に鼻から息を吐くとブクブクと泡が出ます。
その様子が水遊びのふざけている子供みたいで、
あまりにもおかしくて笑っていたら、
何回も何回もやってくれました。
泣いてばっかりだった私が笑ったので、
サクもうれしく思って、
「もっと笑ってよ!ボク何回もやるから」ということだったのかもしれません。
旅立つ前夜まで、
こんな風に時間が過ぎていきました。
サクが病気になって、何よりよかったのは
私が母の介護休業中だったこと。
母は昨年秋に骨折し、一時は寝たきりになり、
その後リハビリで少し歩けるようにはなりましたが、
まだまだ一人暮らしをできるほどではなく、
ちょうど4月から6月末までお休みをいただくことが
決まっていました。
休みを取ると決めたのは、
サクが白血病だと発覚するもっと前のことですが、
まるで私の都合がわかっていたかのように、
休業に入る直前に病気が発覚し、
そのお休みの間、ずっと一緒に過ごすことができたのです。
母は自分のこともありますが、
サクの病気で悩む私を見て、
「もう私のことはいいから。
1人で頑張れるから。
あなたはサクちゃんと一緒にいなさい」と言ってくれたのでした。
その言葉通り、母はメキメキと回復し、
私はサクをずっと見守っていることができました。
母の骨折、休業が取れる会社のシステム・・・
なんだかすべてのめぐりあわせに、感謝、です。
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