1999年8月8日に家族となって、
2017年1月25日に虹の橋へ。
17年半、ずっと一緒でした。
今年も新幹線に乗り、主人の実家で元気にお正月を迎えました。このまま5月の18歳の誕生日も問題なく迎えると信じて疑わなかった。一昨年から耳は遠くなってたけど、それ以外は年寄りっぽさもなく、年齢を言うと驚かれるのが自慢でした。
帰省から戻って2~3日はいつも通りうるさいくらいにごはんを催促し、元気に走り回っていました。急に食欲がなくなり、元気もなくなってじっとしているように。様子を見て3日目にかかりつけの病院へ。血液検査の結果は深刻な問題はなく、この年齢にしては上出来と褒められたくらい。点滴と食欲増進の注射をしてもらって帰宅。すぐにごはんをガツガツ食べて、このまま元気になるんだろうなと安心しました。
でもまたすぐにその元気もなくなり、ごはんをほとんど食べてくれなくなりました。食べてくれそうなごはんやおやつをいろいろ探して、試しては一喜一憂。唯一ちゅーるは進んで食べてくれたので生命線でした。
最初の血液検査から一週間後、また病院で再検査。すると、信じられないくらいに数値が悪くなっていました。エコーやレントゲンで、おなかに大きな腫瘍があることがわかりました。
4年前に確定診断までは至らなかったけど、IBDかリンパ腫かの疑いで抗がん剤治療をして元気になった経緯があります。おそらくIBDで寛解していたのが再発したのではないかということで消化器の炎症を抑える注射とまた点滴を打ってもらって帰宅。
薬も朝晩飲ませて様子を見て4日後にまた病院。さらに状態は悪化していて、悪性リンパ腫の疑いが濃厚になるも確定診断する体力はもうありませんでした。さらに貧血がひどく、今すぐ輸血が必要な状態にまでなっていましたが、ドナーを探すなど考えると現実的ではなかった。
おなかの腫瘍からの悪性貧血、心臓や肝臓の腫れ、さらに黄疸、腹水、胸水…もうぼろぼろでした。すーさんの年齢と体力、残された時間を考えて、できるだけ苦しまないよう穏やかに過ごさせたいと先生に伝えました。
1日置きに通院して点滴、家ではシリンジで流動食。ちゅーるもほとんど食べなくなりました。貧血でふらつきながらも、それでも時々水を飲み、トイレにも行きました。粗相は最後の2日だけ。立派でした。背骨はガリガリだったのに水が貯まっておなかはたぷたぷ。状態は最悪だったのに、むしろ体重は増えて見た目はずっとかわいいすーさんのままその時を迎えました。
早ければ今日明日、もって一週間と余命宣告された4日後。1月25日13時、私の腕の中で、貯まった水による呼吸困難で苦しみながら逝きました。調子が悪くなってからわずか20日、一体何をしてあげられたのだろう。通院して点滴したり、無理やりごはん食べさせたりして、結局辛い思いをさせてしまったのではないか。長生きしてくれた、最後まで一緒にいられたと思う反面、何が正解だったのかと思い返す度に自問しています。
正解なんてないんですよね…生き物なんだもの。すーさんに対する大好きだとか悲しいとかそういう思いはそのまま、ずっと忘れずに同じ愛情を注ぎたいと思って新たな出会いを探しています。すーさん、よろしくね。

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