そう、キジトラのちまさんです。
今でこそ、ワガママで気まぐれ、「にゃあ」の一声で下僕を思うがままに使い、時に凶暴。
そのくせ超がつくビビりでさみしがりや。
お留守番は大嫌い。
私の姿が見えないと憤慨なさって、帰宅時
「どちらに行かれてたんですか?」
と追求がハンパない(>人<;)
特にむうたが来てからは、私がむうたの部屋に行って戻ってきたら、においをふんふん検閲。
その間、私は直立不動でなすがまま。
そして
「あいつのところに、行ってましたよね?」
![](/img/diary_image/user_148934/detail/diary_163510_1.jpg?h=d41d8cd98f00b204e9800998ecf8427e)
「行って」
![](/img/diary_image/user_148934/detail/diary_163510_2.jpg?h=d41d8cd98f00b204e9800998ecf8427e)
「ましたよね?」
![](/img/diary_image/user_148934/detail/diary_163510_3.jpg?h=d41d8cd98f00b204e9800998ecf8427e)
「よねっ‼︎」
![](/img/diary_image/user_148934/detail/diary_163510_4.jpg?h=d41d8cd98f00b204e9800998ecf8427e)
ひぃぃぃぃっ(>人<;)
なんか喋っ…Σ(゚д゚lll)
いや、すんません。すんませんっ(>人<;)
こんなちまさんですから、私の呼びかけにもなかなか応じず、後ろ向きで尻尾ぴくぴくするだけ。
それ、メンドくさいときの返事ですやん( ;∀;)
ですが、ちまさんを呼び寄せる魔法の言葉があるのです。
それは
「ごはん」でも「まんま」でも「遊ぶ?」でもなく、なんと
「もしもし」
なのです。
電話の呼び出し音はもちろん、私が電話「もしもし」と電話していると、必ず
「にゃ〜あぁ❤️」
とまさに猫なで声で急いで近づいてきます。
違う部屋にいても、なんならお外で遊んでても、「もしもし」が聞こえると、必ず急いで寄ってくる。
そして
「かわれ、かわれ」
と激しくせがむ。
なので、電話の相手にも、側にちまさんがいることがバレてしまう。
本当に電話していなくても、電話を持って(スマホでも可)「もしもし」と言うと寄って来る。なんなら、電話でなくても、TVやエアコンのリモコンでも「もしもし」が聞こえれば来る。
なんて便利なシステム。
実は、ちまさんが「もしもし」に反応してしまうのには、理由があるのです。
ちまさんが我が家に来たのは、生後4ヶ月の時。
父が知り合いからもらってきました。
育ち盛り、遊び盛りのちまさんは父によく懐き、よく膝にも入っていたそうです。
ですが、ちまさんが来て間も無く、父は入院となりました。
母とふたりぼっちになったちまさん。
一生懸命お留守番します。
父は朝、夕と必ず病院から母に電話をしていました。
母はこの父の電話を
「何から何まで報告しなきゃいけないからめんどくさい!」
と言っていましたが、父からしてみれば父のいない家で母がひとりで無事かどうかを確かめるための電話だったのだと私は思っています。
そんな父からの電話のたび、母はちまさんに受話器をあてて父の声を聞かせていました。
ちまさんが父を忘れないための気遣いです。
父も
「ちまや、ちまや」
とちまさんに話しかけます。
その声を聞いてちまさんも
「にゃあにゃあ。おとさん、どこにいるの?」
「おとさん、ちまいい子にしてるよ」
「おとさん、いつ帰ってくるの?」
と話しかけます。
いくら話しかけても、おとさんは帰ってきてくれません。
「おとさん、なんで帰ってこないの?」
「おとさん、ちまのこと嫌いになったの?」
「ちまが悪い子だから、おとさん帰ってきてくれないの?」
「おとさんっ!おとさんっ!」
猫は1ヶ月飼い主がいないと「捨てられた」と思うそうです。
ちまさんはいくら呼んでも帰ってきてくれないおとさんに「捨てられた」と思ったでしょう。
そう。
ちまさんは「家庭内捨て猫」になってしまったのです。
ちまさんの必死の訴えも届かず、父は家に帰ってくることはありませんでした。
冷たくなって家に帰ってきた父はもうちまさんの名前を呼んでくれません。
ちまさんを抱っこしてくれません。
本当に母とふたりぼっちになってしまったちまさん。
母は精一杯の愛情でちまさんを育てます。
ちまさんは母のことが大好き。
ちまさんは幸せです。
「おかさん、ちまとずっと一緒にいてね」
ですが、父が亡くなって7年後。
今度は母が入院することに。
ちまさんのお世話をするために私が帰ってくることになりました。
最初はぎこちなかった私とちまさん。
なんとか一緒に過ごせるように。
それでも、ちまさんには不思議がいっぱい。
「おかさん、どこ?」
「なんで、おかさんいないの?」
「なんでねぇねしかいないの?」
昼間毎日、母の病院に通いましたが、夜にはちまさんのために母に電話をします。
母はいつもちまさんに代われと催促します。
「ちま。ちぃちゃん。いい子にしてる?」
ちまさんは応えます。
「おかさん、ちま、いい子にしてるよ」
「おかさん、まだ帰ってこないの?」
「おかさん、ちま、さみしいよ」
「おかさん、ちま、待っるよ」
どんなに話しかけても、どんなに待っても、母は帰ってきません。
ちまさんはだんだん不安になります。
「おかさん、早く帰ってきて」
「おかさん、ちま、いい子になるから帰ってきて」
「おかさんっ!ちまのこと捨てないでっ!」
それでも母は帰ってきてくれません。
ちまさん、二度目の「家庭内捨て猫」です。
「おとさんもおかさんもちまのこと嫌いになった。おとさんもおかさんもちまのこと置いていった」
![](/img/diary_image/user_148934/detail/diary_163510_5.jpg?h=d41d8cd98f00b204e9800998ecf8427e)
家猫としてぬくぬく育ってきたと思われているちまさんですが、実は二度も信じていた人たち、大好きだった人たちに置いていかれのです。
もちろん誰が悪いわけでもありません。
父も母もちまさんを置いていきたくはなかったはず。
もちろん捨てたつもりなどないのですから。
でも、ちまさんにとっては
「自分は捨てられた」
と思ってしまうには十分すぎる状況だったのです。
異常なほどの私への執着。
私の姿が少しでも見えないと、不安になるのは
「また捨てられる」
と思っているからかもしれません。
ペットを残して飼い主が先に逝ってしまう悲劇。それは誰の身にも起こる可能性があること。
でも、愛する家族に「自分は捨てられた」と思わせるなんて、そんな思いは決してさせたくない。
ちまさん。
私は絶対ちまさんを捨てたりしないよ。
父のように仔猫の頃のちまさんとの想い出も、母のように2人で過ごした7年間もないけれど、私たちにはこれからがあるからね。
5年先も10年先も、1000年先も2000年先も私たちは一緒だよ。
私は絶対、ちまさんを置いていかないよ。
絶対病気になったりしない。
だから安心して甘えていいよ。
それでもまだ、ちまさんは待っています。
「もしもし」
が聞こえたら、
「おとさんかも」
「おかさんかも」
と飛んできます。
今でも、「もしもし」のむこうがわにおとさんとおかさんがいると信じて。
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