
二十歳の頃、とってもお気に入りの猫のぬいぐるみをもっていた。
ふかふかで柔らかくて、まぁるい目。柔らかいお髭、小さなお鼻。
ピンクのワンピースのその猫のぬいぐるみを、私は、いつもぎゅっと抱きしめていた。
名前はパトリシア。愛称パティ。
結婚してからは、夫がよくあきれていたものだ。
長女が生まれ、パティは、彼女のお気に入りになった。
よだれをつけたり、投げまわしたり、ぎゅっと抱きしめたり。
そのうち、まるで『ライナスの毛布』のように、長女はパティと一緒じゃないと寝なくなり、どこに行くのも連れて行くようになった。
足は破れ、首はちぎれかかり、そのたび、包帯を巻いて、丁寧に縫い、
何度も何度も洗われ、パティはもう、以前のようにふかふかでもやわやわでもなくなった。
ピンクのワンピースも無くなり、ぼろクタクタだ。
ぼろぼろの猫のぬいぐるみ。
それでも長女は、心が揺らぐ時、パティの首と左足、必ずそこをぎゅっと握った。
それは今の安心を確認するかのようでもあり、
次に一歩踏み出すスタートラインのようでもあった。
幼稚園、小学校、中学校…いつのまにか、パティの置き場は、
ベットの中、机の上、棚の上と場所を変えて、だんだんと娘はパティの手を離していった。
家を出て、大学の近くのワンルームに引っ越す時、娘の荷物の中にパティはいなかった。
娘の部屋の棚の上で、他のぬいぐるみたちに混じって、黙って娘を見送った。
今年の3月には、就職で遠くに行く娘。
旅立ちの時の彼女の荷物の中にも、パティは入らないだろう。
この家の二階の娘の部屋で、凝縮された子供時代の思い出と共に、いつか帰る娘を待つ。
私の人生の折り返し地点は、もう、過ぎてしまったに違いない。
これからの残りの人生は、大切なものを手放す時間だ。
パティと共に、からりと笑って送り出そう。
あと、数ヶ月、心の準備の時間かもしれない。
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