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先代猫にして、愛猫まいが天に召されて今日で丸1年が経ちました。
2年ほど先にいった相方とは虹の橋とやらで無事合流出来たかしらん
享年は推定18歳
私が中学のときに姉妹2匹でやって来た娘でした。母親の知人から貰ってきました
それから自分の人生の半分以上をまいと共に過ごしていた訳なんです。当たり前ですが喪失感半端なかったな~
肥大性心筋症で胸水がたまり、2~3日毎に受診して水抜きにいく日々。水が溜まる度合いが日に日に増したために胸にチューブを入れてもらい家で毎日抜くことに。これを約4ヶ月間まいは耐えてくれました。
闘病生活が長かったのか短かったのかは解りません。
でも、まいは精一杯生き抜いてくれました。
甲状腺の病気も患ってましたので食欲が自制出来なく常に欲しがっては食べて欲しがっては食べて・・・
本当は療養食や摂取量・カロリーなどの管理をする必要があったのでしょうが、まいの望むままにしてあげたいというにが家族の総意でした。苦痛伴う処置に耐えてくれている分、まいの食べたいものを食べさせてあげたい
それが正解だったのか、本当にまいのためを思ってのことだっかはこれも解りません。所詮は我々人間サイドの自己満足だったと言われればそうかもしれません
もっと、まいのためにしてあげれたことがあったであろう?
本当にこれでよかったのか? もっともっともっと愛情を注いであげれたらよかった
挙げだしたら切りがないほど後悔が押し寄せてくることでしょう
実際に当時は喪失感・虚無感と共に疑心と不安に苛まれる日々でした
ただ一つ言えること。まいは最期まで精一杯生きてくれました
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最期の日の朝、まいはいつも通りご飯を欲しがりちょっと自分のペースで食べてトイレをして、お薬をのんで。
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↑最後に撮った写真
私が家を出た数時間後痙攣が出現したそうです。その時母と姉が居て、そのまま2人の腕の中で看取られながら静かに息を引き取りました。痙攣時辛そうにしてはいたが苦しみが変に長引くことなく穏やかな最期だったよと姉は言っていました
突然の別れは本当に悲しかったですが、帰ってから見たまいの顔は本当にいつも通りで・・・
まいらしい最期だったのかな
最期までまいは良い子だったねって
お疲れ様
ゆう(相方の名前)にあったらまた仲良く遊ぶンだよ
いま、1年前を思い出しながら打ってるこの時もボロボロ泣きながら打ってるので言いたいことが上手く纏まってないことでしょう
当時お世話になった動物病院の方々には今でも感謝で一杯だし、その後やって来てくれた三毛猫母娘のマミ&ミコには本当に本当に我が家に来てくれてありがとうーって叫びたいし
何だか泣き出してしまいたいのと、大声で笑ってしまいたくなるそんな愛猫の命日でした
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まいちゃん
それじゃあまたね♪ いっぱいありがとうね
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