
またまたあとら君との思い出。
私がリストラされる少し前。
体調がいまいち優れず病院に行って検査したところ…
将来子供はあきらめるしかないものでした。そして手術することに。
その間、あとら君は両親に預けました。実家に慣らしておいてよかったです。
当時の私はすでに30代後半で結婚・出産はぎりぎりな年齢でしたので
半ば「女の当たり前の幸せ」って言われているものはそもそも諦めていました。
だからそれほどショックはなかったけど、
それより両親に孫の顔を見せてやれないことのほうが悔しかった。
リストラされた時も、「どうして私が…」と悔しくて悔しくて毎日泣いてました。
そんな時あとら君はそっと側に寄り添ってくれました。
そんなさりげない優しさにうれしくて抱きしめようとすると凄く嫌な顔されたけど。
さっと逃げるけど。
だからかな、あとら君に依存していったのは。
この子さえいれば何もいらない…って思った。
そして再就職・引っ越し。
引っ越しして間もない頃、あの地震。
あとら君ひとりで怖がってるに違いない。心細くて鳴いてるに違いない。
混乱している中、会社から自転車で慌てて帰りました。
この時ほど近くに引っ越してよかったと思いました。
町は混乱して駅も道も人と車で溢れてて、時折来る余震。
家に着くと、あとら君はいつもと変わらないように見えました。
でもいつものお迎えの仕方がちょっと違うようにも見えました。
部屋の中の安全確認し、電気も水も大丈夫。
そしてテレビを見て愕然。
とんでもない光景が映し出されてて…。
慌ててあとら君の餌と水を替えて
電話は繋がらなかったので、情報をもって再度家を出て会社に戻りました。
「電車は全線不通、道は大渋滞、外は人でいっぱい。会社にこのまま泊まった方がいい。
とりあえず、食料は早めに確保した方がいい」と。
それと、東北はこんなもんじゃなく、もっと大変なことになってる事も…。
仕事場もとりあえず出来るところまでかたずけてからまた帰途に。
その夜は余震が怖くてあとらと寄り添って一晩眠れぬ夜を過ごしました。
そんなこんなで暫くしてから…また再発しました。
そしてあとら君も様子がおかしい。
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