昨日は休みでした。
まったりと過ごし、昼寝をして起きてからなんの会話から「もく」の話になったのかも覚えてないけど、相方と「もく」の話になった。
暖かくなり、きぃちゃんものんちゃんも行動が変わった。
遊び部屋で脚の間に入ったり、コタツ布団の上で脚の上に乗り寝たりとそんな甘えた行動が増えてたそうです。
「もく」は寒くなるとコタツへ入り、暑くなると納戸や遊び部屋へ行く(エアコンが嫌いだった)
そこへ私達が行けばごろ〜んとお腹を出し甘えてた。
そして暑いと思われるのに脚の間に入ったり撫でろと要求したり、とにかく甘えてた。
そんな行動がきぃちゃんにものんちゃんにも最近はあるようで、相方は「もく」を思い出し泣いてる。と泣きながら話してくれた。
実は「もく」の話を相方からされたのは亡くなってから初めての事だった。
「もく」の思い出の動画をPCに落としてるけど、『私は見れない』と言われた事がある。
それは当然だと思ってる。
私が仕事へ行ってる間におかしい事に気付き、相方が病院へ連れて行った。
どこでなにをしてたのか?
それを全て知ってるのは相方だけ。
そして、病院へ預けて、最後の姿を見たのも相方なのだから。
《どんな表情をしてたのか》
《最後の姿はどんな姿だったのか》
《私に会わせる事が出来なかった後悔》
いろんな想いがあるのだろうと思う。
病院へ行く前の行動を初めて知った。
もくはもくらしい行動をしてた
【僕はいつもと同じだよ】
【大丈夫だよ。心配しないで】
そんな行動だった。
泣きそうだった。
その時は耐えた。
相方が「もくの事」であんなにも泣いてる姿は亡くなった直後しか見た事なかったから。
亡くなった当時の話や生前の話をした。
以前から私は『もくが亡くなったのは私の責任』
その様に日記にしたような気がする。
最初に飼った犬を救ってくれた獣医さんだったので、絶対の信頼があった。
それが仇となってしまった。
その事を責められた。
当然だろうと思う。
事実、もくが亡くなってから、きぃちゃんとのんちゃんの病院は変えた。
考え方も全て変えた。
それは、私自身も何十年も付き合いのある獣医さんの判断が正しい判断をしてくれなかった。
そんな不信感があったからだ。
「もくの死」を獣医さんの責任にするつもりはない。
私が悪かった。
今でもその様に思ってるし、私の判断が全ての間違いだったと認めてる。
生前の話をしながら、相方がこんな踏みこんだ話をしてくる事はなかった。
どこかで「もくが亡くなった事」は自分の責任だと心を閉ざしてたのかもしれない。
今にも崩れそうな私を必死に庇ってくれてた事は気づいてた。
本気で死にたいと思ってた私を支えてたのだろうと思う。
私が「もくへの気持ち」に少し落ち着いてきたので、やっと相方が「もくの死」と向き合って行く事が出来てきたのだろう。
現実を受け止められる環境に出来なかった私が悪いと思う。
これからは相方が「もくが居ない事」「もくの死」を考える順番なのだろう。
私は今でも「もくの事を少しでも考えれば」悲しくなるし、責任を感じる事は多々ある。
私が過ごしてきた時間を相方はこれからやっと向き合う事になる。
責められる事も多くある思う。
私は全てを受け止め、私の責任を認め、キチンと進んであげれるようにしたいと思います。
貴方は私達にとって
凄く大切で
愛おしい存在だったのですよ。



貴方と同じ時間を過ごしたきぃちゃんは元気に遊んでますよ。
貴方が合わせてくれたと思うのんちゃんは慣れてきましたよ。
あとは貴方が帰ってきてくれれば私達は最高に幸せでしょう。
私達の都合ばかりでごめんなさいね。
でも
もし
可能ならば
もう一度
貴方と過ごしたいのです。
きぃちゃんものんちゃんも居る此処で。
逢いたいよ。
もく。
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