別の組織や事業者の人間も同じテーブルに座る。
本日朝、出勤したての話題は、
昨日より事務所周辺で聞こえてくる子猫の鳴き声になっていた。
(私はまだ、その声すら聞いていない)
うち、事務所の近所に住んでいる者が
「昨日うちの庭にいて鳴いていた」と語る。
どうしたのかな?と気にはなっても、自分自身が猫アレルギーだし、
どうすることもできない。
大雨だったので心配だ、と。
それに対して別の者が「けど、どうすることもできないしね」と応える。
「責任持てないし」
まぁ、よくある話。
どうしようもないなら、放っておくしかないと、私は思う。
ただ、私自身は気にはなるので、捕獲できるようであれば試してみるか?と、
想像しながら、話を横耳で聞いていた。
「けど、家の軒下に住まれたらどうしたらいいんですか?
保健所とかに電話したらいいんですか?」
その一言で、つい、カチンと来た。
チクリと皮肉で返す余裕がなくて、ハンマーを振り下ろす(苦笑)
場は凍結し、それで話題は終了。
いかんなぁと即座に反省。
こんなことするから「愛誤のひとは…」と揶揄されるんだ。
嫌いなのだ。
何もできない癖に、気にしてるふりだけをするひとが。
動物を、ただ厄介払いしたいだけのひとが。
想像を働かせずに短絡的なことしか考えられない、愚かさが。
そして大の大人が、子猫1匹の居場所さえ許してやれない、
その気持ちの偏狭さが。
気づかされたのは、
こうした無関心な人たちが、何の罪の意識もなく、
そうした発想を持ってしまっているということ。
けれどもこれが「現実」なんだろう。

それはさておき、我が家の保護猫。
マラサイという名前は却下され、ポツという仮名になりました。

ゴハンを食べる時に、なぜか喚きますが(笑)
そんなにうまいのか?
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