主人からだった。
あまり重要ではないことでもよく電話をしてくるので、スルーすることも多いが、その時はたまたま携帯をいじっていたのですぐに電話に出た。
私は少し前に腕の手術をして自宅療養中だった。
8月には仕事復帰することになっている。
けっこう大きな手術だった。
私の左腕にはアボカドくらいの大きさの楕円形の傷跡がある。
おそらくもう消えることのない大きな傷だ。
痛みはだいぶ治まっていたが、しびれが残っており、元のように自由に使えるようにするには、リファビリが必要だった。
麻痺が残る可能性もないことはないと言われていた。
電話の内容はこうだ。
実家の義母と義妹が交通事故にあった仔猫を保護した。
私が見に行って、もし気に入ったらもらってもいい…と
???
電話で言うことか???
まあ、いい…。
今までネコを飼いたいという話は会話によく上がったが、冗談混じりに却下されて終わっていた…。
いきなりどうしたというのだろう…。
実際見に行って、主人が本当にいいと言うかはわからないし、私も今、何かと不自由な身で、ネコを飼えるかどうかも、はなはだ疑問だった。
ただ、自宅療養で今月いっぱいは家にいるから、本当にネコを飼うとしたら絶好の機会ではあったのだ…
幸い車の運転は医者から許可が出ていたので、軽い気持ちで見に行くことにした。
引き戸をあけると軽く挨拶だけしてどんどん上がりこむ。
古いが風通しがよくて気持ちのよい家だ。
台所で義母と話こむと、隣の和室から大きな鳴き声が聞こえる。
あきらかにここの飼い猫の声とは違う声だ。
保護された仔猫はケージの中で、なにかを訴え、まんまん泣いていた。
掌にのるほど小さく、色は薄い茶トラ…昔 「仔猫物語」という映画があって、主人公の「チャトラン」がこんな色だった。
仔猫はものすごい大声で金切り声をあげている。
抱いてもいいか、と尋ねると、「どうぞ」と言われたのでケージを開けて、仔猫を掌にのせる。

小さい…
かわいい…
膝の上にのせると、いわゆる「ふみふみ」を始めた。

この子は交通事故にあったときに足の骨を折った。
医者には義妹が連れて行った。
義母が義妹から聞いた話では…
推定生後4カ月の小さな仔猫は麻酔がまだできないのですぐには無理ではあるが…
場合によっては、今後、なんらかの手術が必要になるかもしれない。
左前足を切断、または、残すための手術…
手術は必要になるか、必要がないかは今すぐにはわからない。
成長するにつれ、今折れた足がどうなるかはわからないのだ。
この仔猫はここの先住の猫三匹との相性があまりよくなかったらしい。
しかし、なぜか犬はよくこのコの様子を気にしているという。
他の猫は警戒して、ケージに近寄らない。
義母は、もう少し、医者に話を聞いて、場合によってはひきとることも考えている…と言っていた。
あれ?主人から聞いた話では 家ではとても飼えそうもないので、里親探しをしている。飼えれば我が家で引き取ってほしいという話を義妹にされていたように思えたが…
義母の話を聞く限り、義母は積極的にこの子を引き取る気でいるように聞こえる…
義母は、我が家に対して、少々の遠慮と、不安…を抱いているのかもしれない
私たちは決して裕福ではない。
この子に十分な治療をするには当然、結構な経済的負担が強いられることになる。
私は家猫は飼っていたことがないので、猫に対する知識や常識も浅い。
初めて飼う猫が、…足を折っていて、下手すると一生障害を抱えるかもしれない、医療費もそれなりにかかるだろう、その負荷を負わせるは大変だし、かわいそうだと思ったのだろう…
しかし、仔猫のふみふみが始まった時点で、私の脳内はとろけはじめ、もう、このコの名前を考え始めていた。
何かがこのコと私を引き合わせたにちがいない…
いや、このコが私を呼んだのでは…
この子の左前足=私の左腕
この二つが見事に私の脳内でリンクし、この出会いは「運命」であると私の中で位置づけられた。
そのとき、ちょうど私も左腕に二度と治ることのない傷を負い、頭の中が自分の傷のことでいっぱいだったから…
手術後初めて、自分の左腕の、まだ乾いていない、生々しく醜い傷を見た時のショックを思い出していた。
何も知らずに目を覚ましたときに足が一本なかったらこのコはどんなに混乱するだろう…
私はこのコの足をなにがなんでも残してあげたいと切に願った…
そして、今この時期は猫を飼い始めるには理想的だ。
会社の復帰まであと2週間、一日中家にいて、様子を見ていることができる。
トイレを覚えさせたり、私が家をあけても大丈夫なように準備をすることができるのはおそらく今だけだ。
絶妙な状況とタイミング 両方が重ならなければ私はこのコを連れて帰ろうと思わなかったかもしれない。
それに、なんだろう、
この仔猫の体中からみなぎる生に対する執着は…
自分に注意をひきつけようとする大きな鳴き声も、
初対面の私に必死にすり寄るけなげな姿も、
無意識にこのかよわい小さな体で自分の命を必死に守ろうとしているのではないかと思えてくる…
この声を聞いたものは、
この姿を見たものは、
この子を守らずにいられなくなるのだ…
私は興奮して主人にこのことを話した。
主人は ふうん といつもの感じで、その態度を見ていたら、本気で連れてくるつもりがあるようには見えなかった。
夕食を食べ終わったころ、義妹から主人に電話がかかってきた。
私が猫を気に入ったことを少し話して電話を切った。
「明日の夜連れてくるって…」
最近のコメント