長女はネコ写に直近の写真をあげました。
https://www.neko-jirushi.com/nekosha/157004/
私は休みではないので出社、移動中の電車の中では泣けてしょうがなかったです。
その日の夕方はキッチンに立てませんでした。半分残ったパウチ、たくさん使った食器、後片付けがつらくて、、、次の日の朝に泣きながら、ゴミを捨てて食器を洗いました。
夫が大阪に戻るのを待って、12日に霊園に行くことに。(イオンのペット葬からの手続きを初めて利用しました)
それまでの間、モモちゃんは、スチロール箱の中で、ドライアイスと保冷剤でひえひえになって眠っていました。
最初は「冷たくてゴメンね」と言っていましたが、何度か保冷剤を替える時には「モモちゃん、これで冷たくて気持ちええよね」と声掛けしていました。
前夜、棺に入れれるかなあと、フードや服、おもちゃをひっぱりだしていました。
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朝、長男と次女が登校する前に、家族5人でモモちゃんの周りをお花で埋めました。
![](/img/diary_image/user_127849/detail/diary_174005_3.jpg?h=49fbe695ef5a9a641c71a5ad65e356bc)
モモちゃんがよくひなたぼっこしていた長女の部屋の出窓で。
霊園には9:30頃つきました。
缶詰はダメでしたが、小袋入りのフード、焼きかつお、パックの猫用牛乳はOK。最後に大好きだった牛乳が入れれてよかった。
あまり遊ばなかったモモちゃん、スーパーボールだけは大好きで、これも足元に入れれました。
(モモちゃん2歳の頃)
かぶりものも1つだけ、モコモコひつじさんのを。
それと、ピンクの術後服、赤い腹巻。がんばった闘病の証でした。
![](/img/diary_image/user_127849/detail/diary_174005_5.jpg?h=49fbe695ef5a9a641c71a5ad65e356bc)
10時過ぎ、鳥のさえずりが響くペット霊園で、モモちゃんがお空に上っていくのを、夫と長女と私の3人で見つめました。
拾骨まで待っている間、他の方々の納骨堂を拝見したり、霊園を歩いたりしていました。
今回の霊園は、心に残ることも多く、また後日、日記で書きたいと思っています。
全てを取り仕切ってくれたのは若い女性の方でした。細かくお骨の説明もしてくださり、私達3人と一緒に、モモちゃんの骨すべて、骨壷に納めてくれました。
![](/img/diary_image/user_127849/detail/diary_174005_4.jpg?h=49fbe695ef5a9a641c71a5ad65e356bc)
うちではみんな、家に連れて帰ります。
お昼頃に帰宅、モモちゃんにお供えしました。写真がまだ準備出来てないっ
午後は出社。
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もう、ねこが1ぴきもいない我が家は、すごく寂しいです。
私が20歳の時から28年間、ねこと続いた生活は終わってしまいました。
やっぱりいるんじゃないかって思ってしまいます。
モモちゃん、最後はどこが悪かったのかな?複数のがんがあったから、多臓器不全か心不全?最後、お医者様に診てもらってないからわからないね。
乳がんにさせてしまい、何回も手術しても、治してあげられなかった、ごめんね。
私はいい飼い主じゃなかった。耳がきこえないことに気づくのも遅かった。
でも、最後の闘病の期間、お薬だけ出してもらって、大っ嫌いな病院に、ちいさいモモちゃん連れていくことはしない、信念は通したのよ。
モモちゃんはきれいで自慢のねこだった。どこのこよりもいちばんかわいいねこでした。
長い間、かわいい家族でいてくれて、ありがとう。
そして、こんなに頑張ってくれて、Mの腕の中で眠りについた奇跡を、ありがとう。
疲れた身体から解放されて、ぐっすり休んだら、毛皮を着替えて、またおいで
さよなら、モモちゃん
![](/img/diary_image/user_127849/detail/diary_174005_1.jpg?h=49fbe695ef5a9a641c71a5ad65e356bc)
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