現実はあんなに奇麗事ではない。
もう20年位前の話になる。
私は20代の若年性アルツハイマーの女性患者さんのケアに当たったことがある。
入院時は興奮状態で、支離滅裂だった。
各種検査の結果ついた診断が「若年性アルツハイマー」だった。
非常に珍しい症例だった。
彼女には結婚を前提にしていた彼氏がいた。
初めは彼氏が面会に毎週来ていたが、入院1ヶ月を過ぎた頃からパタリと来なくなった。
確認はしていないが、ご家族から面会のお断りと別離を言われたのではないかと推察した。娘の壊れゆく姿を見せない為に。
入院1ヶ月を過ぎると、会話が成立しなくなっていた。排泄も失禁が増えてオムツが欠かせなくなっていった。
2ヶ月を過ぎると、会話は皆無となり、赤ちゃんの喃語のような発言しか出来なくなっていた。食事も手掴み、または犬や猫のような食べ方をするようになってしまい、食事介助が必須となった。
室内を徘徊し、疲れると床に寝そべってしまう。誘導でベッドに戻るそんな状態になっていった。
3ヶ月を過ぎる頃には、表情はなくなり、動作も緩慢となり、発語はなく、排泄は完全オムツ内排泄になり、食事も丸呑みが増え、固形流動食でないと危ない感じになった。
水分もストローもしくは哺乳瓶対応が必要になっていった。
寝たきりになり、食事や関節の運動などで車椅子に移乗して貰うようになっていった。
4ヶ月を過ぎると、経口摂取が困難になり、経鼻カテーテルからの経管栄養も検討されるようになっていった。
ある夜のこと、
30分前に見回った時は布団で寝ていたが、訪室すると床に寝そべっていた。
オムツが濡れているのかなと思い確認すると、排尿と生理出血を確認した。
オムツ交換をされながら、無表情なその瞳から、一筋の涙がこぼれた。
4ヶ月で、普通の成人の機能は徐々に失われていったが、唯一生理出血だけは止まらず毎月あった。
「お腹痛かったね…」
と私も涙がこぼれた。
たぶん、彼女も私も、心が痛かった。
半年前までは、彼氏との結婚を控え、将来に明るい希望を夢見て生活していたであろう彼女が、何故?こんな酷いことになってしまったんだろう…。
私達は基本仕事に私情は入れない。
私情を入れだしてしまったら仕事にならないからだ。
彼女の涙を拭いながら、私はまだ歌が歌えた頃、たまに彼女が口ずさんでいたバンドの歌を小声で歌った。
彼女は私の歌を聴きながら静かに目を閉じて入眠した。
半年になろうとした頃、彼女は県外の大学病院に転院になった。
入院治療費は高い。
たぶん、入院治療費を無料にする代わりに…
といった治療契約が、家族とその大学病院で結ばれたのだろうと考えた。
車椅子で退院していく彼女を見送れたが、その後、彼女がどうなったかは知らない。
珍しい症例が故に、研究対象にされたかもしれない。
私は信仰を持たないことにしている。
神に祈った所で、現実は変わらないことを山のように知っているからだ。
何故?これを日記に書いたのか?
私にも正直よく分からない。
テレビなどで、このての話を奇麗事にドラマなどにされるのにも腹が立つが、
変えられない現実がある反面、変えられる現実もある。
猫の適正飼育、地域猫活動、TNR、変えられる現実だ。
変えられない現実を神に祈り、変えられる現実を見て見ぬふりをする。
変えられるのならば、よい方向になるのが分かっているのなら、
私は変えるべきだと考える。
変えることにより、命が守られるならば尚更だ。
少し前に、昔の上司に、私が今動物愛護に関するボランティア活動をしていることを話すと、「そんなことしてるなら現場復帰しなさいよ」と言われた。
「そんなこと」にカチンときた。
そして言い返した。
「同じ命です。」と。
言葉のあやだったのかもしれないが、
とても引っ掛かった。
今の私は、変えられる命の現実があるならば、そこに貢献したい。
それは微々たる活動かもしれないが、水面に小石を投げれば、波紋は起きる。
そんな気持ちだ。
変えられない命の現実の分も、
変えられる命の現実を、私達は変えて行かなければならないと思う。

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