5日目からを書こうと思うが、その前に①と重複する日の出来事を。
先日の日記「まるの席だった所に…」と同じ内容&写真もあるが、気持ちの整理がついてきた今の気持ちで再度振り返る。
まるが亡くなったのは1/8、21時。
弟の小太郎は、まるが息を引き取ってすぐに駆け寄り、お尻のにおいを嗅いだ。
そして悟ったのか、まるのお尻をずっと舐めていた。
ヨダレでべちょべちょになっても舐めていた。
夜は猫ベッドに寝かせ、私の寝室に安置した。
いつも小太郎と一緒に寝ていたミニテーブルの下に。
小太郎は冷たくなったまるを、もう舐めない。
その側で香箱座りをし、まるをずっと見ている。
1時間くらいそうして姉弟の時間が過ぎ、小太郎は私の布団に入ってきた。
今までもたまに入ってくることはあったものの、15分くらいで出ていっていた。
でもこの日は、朝私が布団から出るまで私の懐に入ったままだった。
猫は涙も流せないし声を上げて泣くことも出来ないが、小太郎の行動を見ていて、悲しみを感じること・温もりで安心したいことは、人間と同じなのだな、と痛感した。
私は朝まで眠れず泣き続けた。
小太郎は私の胸に手を当てながらやはり起きていた。
まるを失った悲しみより、小太郎が悲しんでいる様を見ている方が辛かった。
翌々日の朝、リビングをいつものようにルンバをかける。
毎日ルンバ中は、まると小太郎がテーブルに上げた椅子に座りルンバの仕事を監視していた。
小太郎はその日も上げた椅子に座った。
隣にぽっかり空いた椅子が1つ。
ポツンと一人で座る小太郎を見て、私はまた号泣していた。
すると、育ての親トラさん(6歳♂)がのそりのそりと、その空いている席に座った。
号泣していた私の涙の意味が少し変わった。
猫の慰め合いと寄り添いに、私は違う意味で更に泣いた。

そして夜。
小太郎は私の布団ではなく、いつもまると眠っていた場所で丸まった。
時折鼻をクンクンさせ、毛布についたまるのにおいを嗅いで「アオーン」と泣く。
辛すぎて見ていられなかった。
私は何も出来ずに泣いているだけだった。
そこへトラが寝室に入ってきた。
そしてまるの場所に行き、小太郎のように丸くなった。
一人ぼっちで眠ろうとしていた小太郎は、喉をゴロゴロと鳴らして「ありがとう」と言っているようだった。
朝のルンバの時と同じ涙が出た。
そして3日ぶりに私は朝まで眠った。

翌朝のルンバ。
まさかのモモ(3歳♀)がまるの席に座った。
まさかの、というのは、モモは未だ小太郎に「シャー」を言うのだ。ビビリだから。
小太郎は仔猫のときから言われているし、それでもモモを追っかけていく性分なのでシャーには全く怯えないが、モモから側に行くところは初めて見た。

↑左:小太郎、右:モモ
※「んあ〜?!」と挑発している訳ではない(笑)
そして私はまた同じ涙を流した。
いつしか、私の涙は悲しみだけでなく、慈しみの色を帯びるようになっていた(小説かよ)。
まるが「小太郎をお願いします」と伝えたのかもしれない。
トラもモモも、さり気なく、そっと側に寄る…。
猫というのは、やる事がクール過ぎる。
オーバーリアクションに慰める人間にはないクールさだ。
そのさり気なさに、
「イケメン過ぎる」
とふざけた感想を抱きながら、私は親友とおはぎを食べた。
あ…結局時系列が①から進んでないや。

↑まるに愛されていた小太郎
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